霞ヶ関からコンサルティング、そして中国のネットビジネスへ


伊賀「今日は上海からの一時帰国中に、お時間をありがとうございます。早速ですけれど、キャリア形成のインタビューということで、中高生の頃どんな子供だったか、当時は何になりたいと考えていたのかなど、教えて下さい」
 


<聞き手 伊賀泰代>
 
 

金田「中高生の頃からというと、私はかなり特殊なケースかもしれません。実は両親とも全く世の中の教育に関心がなく、『人の上に立つような人間になってはいけない』という方針の下で育てられたんです」
 

伊賀「それは確かに特殊ですね。ご両親には、何か確固たる信念がおありになったのでしょうか?」
 


<幼少時の金田さん>
 
 
金田「母がある宗教の熱心な信者で、父も同じ信仰をもっていました。だからお受験もしていないし、塾にも行っていません。通ったのは小学校、中学校、高校とすべて地元の公立学校です」
 

伊賀「ご両親からは、どのように生きていくよう、言われて育ったんですか?」
 

金田「現世は汚れている。だからできるだけ今の社会とは関わらず、地道に善行を積み、静かに生きていこう、という感じです。そうすれば来世で救われると信じているんです」
 

伊賀「金田さんご自身もその宗教を信じていたんですか?」
 

金田「小学校、中学校あたりは親の影響が大きいですからね。私もビラを配るなど、布教活動を手伝っていました」
 

伊賀「布教活動までやっていたんですか?」
 

金田「週に4日くらい手伝ってましたよ。だから部活動もできないし、友達と遊ぶ時間も少なかったんです」
 
 

★委員長もクラブ活動もできない少年時代★

 
伊賀「『人の上に立つな、社会とかかわるな』と言われても、金田さんは学校の成績もよさそうだし、普通にしていたら学級委員長などに選ばれるでしょ? そういう時はどうしていたんですか?」
 

金田「成績もよかったし運動神経も悪くありませんでした。だからそういうのには自然に選ばれますよね。でも、選ばれた後に先生のところに『すみません、僕は委員長にはなれません』って言いに行くんです」
 


<野球好きの活発な男の子だったが・・>
 
 

伊賀「それは先生もびっくりされるでしょうね。子供としてはつらいことだったのでは?」
 

金田「つらいですよ。『できないんです』とは言えるけど、必ずしも自分自身の意思じゃないし。先生もさらっと受け止めてくれるわけじゃない。『なぜだ?』と聞かれても、自分では上手く説明できないんですから」
 

伊賀「フラストレーションが溜まりそう・・」
 

金田「確かに鬱屈していましたよね。部活も禁止だから体を思い切り動かすこともできないし、学校の勉強は簡単すぎてつまらない。
 

人前で舞台に立つのもダメだから、運動会や学芸会のようなイベントにも積極的には参加できない。だから必死に頑張って何か達成して、失敗して悔しがったり、成功して喜んだりという、子供として自然な成長過程が経験できていません」
 

伊賀「いじめられたりしませんでしたか?」
 

金田「いじめられますよ。殴られるわけじゃないけど『あいつは変な奴だ』って感じで陰口をたたかれる」

 

伊賀「学校に行きたくなくなるとか、そこまでではなかったんですね?」
 

金田「成績がいいのでそこまでにはならないんです。まあ、浮いているというか、変った奴だよな、と言われるレベルですね。
 

ただ、小さい頃から自分の中で、期待値をコントロールする癖がついていました。いろいろ期待してもどうせ実現しないから、最初からあまり楽しいことを期待しなくなるんです。できるだけ希望を低くもっておいて、ああやっぱり無理だよね、という範囲で自分を収めてしまう」
 


<運動神経もよかった子供時代>
 
 

★哲学書を読んで生き方を考えた高校時代★

 
伊賀「それでも高校生くらいになれば、自分で進路について考えるようになりますよね。大学進学については自然なことでしたか?」
 

金田「自然というわけではなく、かなり深く考えた上での決断です。高校時代には平和島の冷凍倉庫で働いたり、ちり紙交換のトラックに乗り込んだり、いろんな仕事を経験しました。
 

両親は私に『いい大学に行って、いい会社に入って欲しい』とは考えていないので、高校を卒業して、そういう仕事をして食べていくことも、ひとつの選択肢だと考えていたようです」
 

伊賀「それはびっくりですね。でも、現実にはそうはならなかったわけですよね?」
 

金田「周りでいろいろと教えてくれる人がいたんです。仕事場で、『おまえはこんなところで働いてちゃいけない』って言われることもありました。
 
高校は進学校ですから、先生も社会の仕組みをいろいろと教えてくれました。社会制度や経済、官僚が果たしてきた役割とか、だから今の日本があるんだとか、そういう話を初めて聞いたのが高校時代です」
 

伊賀「たしかに高校生くらいになると、家族以外の人から異なる世界の話を聞いて、視野が拡がりますよね。でも金田さんの場合、そのふたつの世界がかけ離れていて混乱したのでは?」
 

金田「だからすごく深く人生について考えました。当時はニーチェなど、哲学書をよく読んでいて、人生ってなんだろう、生きるってなんだろうと、考えてました。自分の生き方を決めるために、真剣に悩んだ時期でしたね」
 

伊賀「東大に行く人の大半は、大学に進学するかどうか、悩んだことはないと思います。高校生の頃から、そういうことを自分で決めていたというのは、ものすごく早熟というか、大人になるのが早いですよね」
 

金田「それどころか私の場合、中学生くらいから布教活動の一環として、社会と向き合ってきたんです」
 

伊賀「どういうことですか?」
 
 

★社会の現実と向き合って身につけた共感力★

 
金田「貧困とか不倫とか片親家庭の現実とか・・宗教活動をしていると、そういう人にも数多く出会います。私は中学二年生なのに布教をする側ですから、何もわからないなりにそういう人達の悩みを聞き、世の中の現実を突きつけられていました」
 


<現在の企業の経営幹部達と>
 
 

伊賀「それは・・すごいことですね。中学生でそういう経験をしたことは、今から振り返ってどうですか? そういう強烈な現実を知ることで、何か身についたものがあるのでしょうか?」
 

金田「そうですね・・・“共感力”とでもいったものが、身につきました。自分とは環境や考え方が異なる人に向き合った時、気持ちを一緒にするために、ストーリーを語らないといけない場面がありますよね。そういう時に語る言葉は、あの経験で得たように思えます」
 

伊賀「なるほど、それは大きな財産ですね。
 

で、金田さんは東大に進んでいるわけですが、いつからそういう世界が見え始めたんですか?」
 

金田「中学校3年生の時に、模試の順位が神奈川県で一桁だったんです。それをみて『ああ、もしかしたら、違う将来がありえるのかもしれない』と考えるようになりました。
 
その後、高校に入ってから先生達の話を聞いていて、少しずつ世界が拡がっていったという感じですね」
 
伊賀「大学時代はどうですか?」
 
金田「親が進学に前向きでなかったので、大学からは、自分で授業料や生活費を稼いでいました。だからバイトの時間が長かったですね」
 
伊賀「学費も自分で稼いでたんだ! それはすごい」
 


<大学時代にはアジア各国に旅行した>
 
 

金田「それに高校時代に哲学書まで読みこんでいましたから、同級生がやや子供に見えて・・・。あんまり『大学生活を謳歌して楽しくて!』という感じではなかったかもしれません。でも、アメリカに行った時は感動しました」
 

伊賀「どこで何を見たんですか?」
 

金田「2年生の時にスタンフォード大学のキャンパスを見たんです。今と違ってシリコンバレーブームではなかったけれど、日本とは異なる規模のキャンパスを見て圧倒されました」
 

伊賀「確かに、初めてあれを見るとびっくりしますよね」
 

金田「自分も絶対いつかアメリカに住みたいと思いました。だから就職する時も留学させてもらえる会社に入ろうと考えたんです」