霞ヶ関からコンサルティング、そして中国のネットビジネスへ


伊賀「新卒で就職する時のことについて教えて下さい。当時は官僚になる選択肢しか考えていなかったんですか?」
 

金田「いえ、三菱商事、IBJ(日本興業銀行:当時)と大蔵省(当時)、通産省(当時)を受けました」
 

伊賀「民間企業も受けていたんですね。金田さんの性格だと商社も合っていると思いますけど」
 

金田「私も商社は合っていると思いました(笑) でもそれが、商社を選ばなかった理由でもあるんです。三菱商事の人の話を聞けば聞くほど、『ああ、ここはオレに向いている』って確信できました。だから行かなかった」

 


<大学時代のサークル活動>
 
 

伊賀「自分が向いていると思う会社を選ばないって、どういうことですか?」
 

金田「自分が得意だと思える分野に進むのって“チャレンジしがい”がないですよね。
 
実は私、会社選びや事業で迷った時、最後はいつも『できるだけ自分に向いていない方』を選ぶようにしてるんです」
 

伊賀「それはユニークですね。普通はみんな、仕事も会社も“自分に合う場所”を必死で探すものなのに?」
 

金田「もちろん、最初から嫌いな場所、向いていない場所を選んでいるわけではありません。
 
けれど、最後の最後まで残った二つの選択肢が目の前にあったら、それはもうどちらを選んでも、自分としては後悔しないレベルの選択肢なんです。
 

そうであれば、そのふたつから最後の一つを選ぶ時には、自分にとって“よりチャレンジの大きな方を選ぶ”ようにしてるんです。その方が、今の自分が持っていない何かが花開く可能性が高いでしょう?」
 

伊賀「なるほどー。『最後に残った究極の選択の場面では、敢えて難しい方を選ぶ』、それが自分を変えていく、高めていくひとつの手法になっているわけですね?」

 
 

★官の意義を考えながら霞ヶ関へ!★

 

金田「ただ私の場合は、当時から『官の役割はそろそろ終わりかな?』という感覚も持っていました」
 

伊賀「1997年の入省であればそうでしょうね。もしかして、それが通産省(現在の経済産業省)を選ばなかった理由ですか?」
 

金田「そうです。産業政策の分野では、さすがにもう官の役割が大きくなるとは思えませんでした。
 
先輩の話を聞いていても、みんな昔の話はすごく生き生きと語るんです。でも『じゃあ今、何をやってるんですか?』という話になると、とたんにスケールが小さくなる。『ああ、そういうことなんだな』と思いました」
 

伊賀「大蔵省(現在の財務省)は、そうではなかった?」
 

金田「予算を押さえているというのは強いと思いました。日本は巨大な経済規模をもつ国で、そのお金の中枢を押さえている。これはおもしろいかなと」
 

伊賀「そういえば1997年からの数年って、日本でも金融危機が起こり、アジアでの通貨危機も起こった時期ですよね。財務省勤務って、ほとんど家に帰れない状態だったのでは?」
 

金田「終電で帰れた日はほとんどないですね」
 

伊賀「金田さん、たしか国家公務員試験を一番で合格してますよね? 財務省は入省時から進むコースがかっちり決まってると言われますけど、長くいればどういうキャリアパスを歩むはずだったんですか?」
 

金田「最初にいたのが国際局で、国際交渉を担当する部署です。ここに最初に配属された人の多くは国際畑でいろいろ経験を積んでいかれ、財務官になられる方もあったので、そういう未来をイメージしていました」
 


<大学時代のアジア旅行にて>
 
 

伊賀「当時の具体的な仕事内容は?」
 

金田「財政、金融、為替関連の国際会議がたくさんありますから、その企画準備や運営、根回しなどがひとつ、あとは財務官の知恵袋的なチームとして、政策提案や報告書、論文などを書く事もあります。 それに半年間だけですが、広島の国税局に出向して法人税調査もやりました」
 

伊賀「法人税調査ってマルサですね! そんなことも経験してるんだ」
 
 

★「お前の意見なんて一ミリも関係ない」と言われ・・★

 
伊賀「それにしても当時の日本は膨大な為替準備金を持っていたわけで、国際会議の準備や財務官の補佐という仕事はやりがいがあったでしょう?」
 

金田「大きな仕事でした。でも一方で無力感も感じましたよ。私がいくら経済学を勉強して、金融政策や財政施策について『こうすべきだ』と思っても、そんなの何の関係もないんですから」
 

伊賀「どういうことですか?」
 

金田「『総理がアメリカの大統領とこの方向で合意したんだから、おまえの意見なんて一ミリたりとも関係ない』ということです。自分で考えて何か言ってみても、『誰もおまえの意見なんて聞いてない』って言われる、そういう仕事なんです」
 

伊賀「私たちはよく『日本の政策は官僚が牛耳ってる』とかいいますけど、反対にそういう現実もあるわけですね」
 

金田「政策について、ある程度、方向性を定めていくことは可能だと思いますが、それはかなり長期的なスパンの話なんです。法律や国会答弁、閣議決定などの文言に、ものすごく細かい言い回しで“将来の種”を埋め込んでいく。そして何年もかけてその方向に誘導していく、みたいな」
 

伊賀「隔靴掻痒という感じですか?」
 

金田「手元のコントローラーで宇宙の星をコントロールしてるような感じですよ(笑) 今はそういう仕事の意義も理解できる度量が出てきましたが、私はやっぱりその場ですぐに『So what ? つまり何?』がわかる仕事が好きだったんだと思います」
 

伊賀「他にも霞ヶ関を出ようと思った理由はありますか?」
 

金田「中にいる人はとても優秀なのに、『組織全体としてそれを活かして成果を挙げているか?』と問われると、そうじゃないかもと感じていました」
 


<財務省時代の金田さん>

 
 

伊賀「もったいない話ですよね。ガバナンスとか、仕組みの問題が大きいのだと思いますが」
 

金田「組織内には、『すごく尊敬できるけど出世はできないだろうな』と思える先輩がいて、『自分もそうなるかも』とも思えたり・・」
 

伊賀「それで、思い切って外に出ようと思ったわけですね。でも金田さんは、今でも当時のお知り合いの方と親交がありますよね。やっぱり“同じ釜の飯を食った仲間”という感じですか?」
 

金田「当時の仲間や先輩とは、『お互い、どんな立ち位置にいても、日本がよりイキイキした国になるために頑張るんだ』という気持ちを共有していると感じます。イデオロギー的に繋がっているというか。
 

マッキンゼーはスキルを身に着けるため、問題を解決するための方法論を共有している仲間だけれど、主義主張に対してはオープンですよね。そこはすごく違う」

 

伊賀「なるほど。当時の先輩には、政治家になられている方もいますよね? そういう方とも、国をよくしたいという志でつながっているわけですね?」
 
金田「その通りです。それに、彼らはホントにすごいんです。
 
マスコミとかコメンテーターの話を聞いていると、当事者じゃないから楽だよねと思うんです。当事者は、批判だけなんかできません。
 
これから引退世代がどんどん増えていった時、どうやって皆が当事者意識を持ち続けられるか、それが本当に重要です。当事者意識の欠如が、この国の最大の課題じゃないかと思うくらい」
 
伊賀「政治家になろうというのは、究極の当事者で居続けるという覚悟でもあるわけですね?」
 
金田「選挙で、当事者として責任をもった発言をして、それで当選する、そういう先輩を本当に尊敬しているし、ずっと応援していきたいと思っています」