霞ヶ関からコンサルティング、そして中国のネットビジネスへ


伊賀「アメリカでの留学生活はいかがでしたか? いろいろ日本と違うことも多いですよね?」
 

金田「最初にスタンフォードのサマースクールに行ったんですけど、それが1999年の夏で、アメリカはITバブルの真っ直中。今までいた場所とは180度価値観の違う世界に驚愕しました」
 

伊賀「『リスクをとらない人生なんてありえない!』っていう雰囲気でしょ?」
 

金田「今も同じだと思いますが、『リスクとらない奴はイケてない奴、能力のない奴だけ』と思われていました。官僚のキャリアは延々と続くリスクヘッジの連続ですから、彼我の違いに驚きました。
 

それに、キャリアを考える時の時間軸が大きく違うんです。財務省でのキャリアは、『25年後には財務官に』みたいなスケールで考えます。シリコンバレーにいた当時の自分には想像のつかない途方もない長さに思えました」
 

伊賀「そんな先まで見えてしまう人生を良しとするか、先が見えない人生を良しとするか、という感覚も正反対ですよね」
 

金田「そうですね。これはあくまで一般論で、僕自身の将来が決まっていた、というわけではないんですが、ある程度キャリアが進むと、次は主計局かな、そこでいったんワシントンDCに行って、その後は理財くらいかな、とか、かなり将来が見えてくるんです。

 
キャリア形成には前例のデータベースがあって、そのとおりに進む人生というのが、息苦しく感じられました。
 
日本はこれから未曽有の閉塞感と戦わなければいけないと感じていましたし、世の中が激変するときにこそ活躍したい、と思う僕みたいなタイプには、予定調和の人生を歩むのは合わないな、と」
 


<留学時代>
 
 

伊賀「アメリカでは『エリートが自分の人生を組織に任せる』っていうのはありえないですよね。いい悪いの前に、理解してもらえない。キャリア形成に関する意識は本当に大きく違います」
 

金田「でもその一方で、実は私は今でも、必死で頑張っている役所の時の同期に恥ずかしくない、常に彼らと建設的な議論のできる人でありたい、と思って生きているんですよ。
 

高い報酬を得て贅沢しようと思わないのも、自分の成長に対して規律を持って意識し続けられるのも、自分がベンチマークとして考えているあの時の同期が、すごい頑張り屋で、それなのに個人としては多くを求めない人達だから、ということが大きいんです。
 

私自身は飽きっぽいから、この生き方が合ってたと思うけど、役所の時の同期や尊敬する先輩には、政府内でバリバリ活躍してもらいたいです」

 
 

★アメリカの原動力“マーケットの力”に魅せられて★

 
伊賀「ところで留学中に学ばれたことについてはどうでしたか? ビジネススクールというより、最初は経済学の博士号コースに進んだと聞いていましたが」
 

金田「経済学は確かに専門だったのですが、アメリカで一番、関心をもったのはキャピタルマーケットでした。それがものすごくダイナミックに、現実に関わっている」
 

伊賀「“マーケットの力”というのは、あの国のすべてを動かす原動力ですよね。でも、だとすると卒業後の転職先として、投資銀行も検討したのでは?」
 

金田「検討しました。ウォールストリートの投資銀行に勤めるマネッジングダイレクターと会わせてもらって、いろいろ話はしたんですが・・」
 

伊賀「肌が合わなかった?」
 

金田「私が迷っていたコンサルティング業界から投資銀行業界に惹きつけようとしてのことだろうと思いますが、ちょっと“お金”を強調されすぎていて、引いてしまいました(笑)」
 

伊賀「財務省の給与は月20万円もなかったでしょ? 月に300万円とか言われてもギャップが大きすぎますよね(笑)」
 

金田「役所からみて民間の世界にやや違和感を感じるのは、その根底に『あいつらはお金が大事なんだろ?』っていう気持ちがあるからなんです。だから、そこが理由に見えるような転職をすることは考えられませんでした」
 
 

★ビジネスの基礎を学んだマッキンゼー★

 

伊賀「ところで、今、資料を見たら、金田さん、マッキンゼーに10年も在籍されたんですね。
 
財務省は留学を除くと2年半でしょ。今もまだ退職してから2年です。今の時点での金田さんのキャリアの中心は、完全にマッキンゼーだということになりますね」
 

金田「実際、大きな10年だったと思います。26歳から36歳まで在籍しました。ここまでの時点でみれば、まさにコアのキャリアです」
 


<マッキンゼーのグローバルトレーニングにて>

 
 

伊賀「26歳の時の自分と、退職する時の36歳の時の自分、どう違いますか? 26歳の金田さんは、今の自分から見て、どんなだったのでしょう?」
 

金田「なんのスキルもなかった、ですね」
 

伊賀「なんのスキルも?」
 

金田「お勉強はできたし経済学の知識もあった。英語もそこそこ話せた。でも『ビジネスができるスキルがあったか?』と問われればそうではなかった。その点に関しては、すべてをマッキンゼーで学んだといってもいいくらいです」
 

伊賀「財務省の時にも学びはあったでしょう? 期間は短いけど」
 
金田「財務省の時には『こうやればいいんだな』ということしかやっていませんでした。長い時間働いたし、大変だったけれど、やればできることしかしなかったんです。でもマッキンゼーでは違っていました。できなかったことをやらされた」
 

伊賀「めちゃくちゃストレッチさせる組織ですよね」
 

金田「めいっぱいストレッチさせられます(笑) 入社してすぐに小手先の技術ではとても太刀打ちできないとわかって、必死になりました」
 

伊賀「できなかったことが、どんどんできるようになっていくのって楽しいですよね」
 

金田「確かに、スキルが付いて自分が成長している実感が持てていたのが、長く在籍した理由だと思います」
 

伊賀「マッキンゼーで身につけた一番スキルは何ですか?」
 

金田「スキルというより、自分の人生を自分で決められるようになったことですね。 

元々、私は保守的な性格なんですが、そんな自分でも、自分で人生の行き先を決めていけると、自信をもってそう思えるようになりました」
 

伊賀「キャリア形成サイトに載せるインタビューとしては、お手本のような回答をありがとうございます(笑)」
 
 

★転機となったフィリピンでのプロジェクト★

 

伊賀「金田さんはグローバルなパートナーにまでなっているわけですが、特に印象に残るプロジェクトはありますか?」
 

金田「入社3年目くらいの頃にフィリピンで行なったプロジェクトですね。問題解決のプロセスやコミュニケーション、組織を動かすなど、必要なスキルを総動員して、リアルな変化を起こすことができました。
 

あれで、コンサルタントとしての仕事の意義が理解できたし、『自分は社会にリアルなインパクトを出すことができる』と確信できました」
 

伊賀「そういうプロジェクトの存在って大きいですよね。私はよく“The project”と呼んでたんですが、『これこそが自分のプロジェクトだ!』と思える経験が入社数年以内に得られると、コンサルタントとしてやっていこうという覚悟が生れますよね」
 

金田「そうですね。加えて最後の何年かは、日本オフィスと海外オフィスとのつながりも強くなって、そのこともマッキンゼーで長く働くことになった要因だと思います」
 

伊賀「ファーム全体だと驚くほどスゴイ人にも会えるし、できることの範囲も拡がるから、かな」
 

金田「最後の方では、私はパートナーとして海外オフィスで働いてみたいと思っていました。アジアで小さなオフィスを立ち上げるとか、ですね。それが実現していたら、まだあそこにいたかもしれません」
 

伊賀「リーマンショックさえなければ実現していたように思えます。でもそういうイベントがあって、次のキャリアに移るタイミングが巡ってくるというのも、また人生ですよね」
 


<マッキンゼーのパートナー就任会にて>

 
 

★パートナーとしての退職決断★

 
伊賀「マッキンゼーを辞めようと決断したのは、やっぱり自分で会社をやってみたかったからですか?」
 

金田「それもありますが、『このままここにいたら、お金のために仕事するようになるかもしれない』と思ったからかもしれません」
 

伊賀「どういうことですか?」
 

金田「そこまで私は全くお金に関心がなくて、もらっている給与はどんどん上がっているんですが、住んでいる部屋のレベルも変らないし、お金のかかる趣味があるわけでもない。お金に関しては、稼ぐ方にも使う方にも全く興味がなかったんです。
 

でもパートナーになると見えてくる世界の景色も変ってくる。それで『このままずっとここにいるのってどうなんだろう?』という気がしてきました」
 

伊賀「なるほど。そういえばパートナーになって数年で退職する方も多いですが、そういうこともあるのかもしれませんね」