医師としてのキャリア形成 自分のゴールを見つけるために


伊賀「お忙しいところ、貴重なお時間をありがとうございます。
 
武藤さんは文京区で在宅医療専門のクリニックを立ち上げ、2011年の東日本大震災以降は石巻でも同様の拠点を開設されています。
 

<聞き手 伊賀泰代>
 
また、医療、行政、IT企業、NPOなど様々な分野の人と連携し、高齢化社会における医療のあり方について、検討、提言する活動にも取り組んでいらっしゃいます。
 
その活動が注目され、これまでも多くのインタビューを受けていらっしゃるので、MY CHOICEでは、武藤さんのキャリア形成の流れや、節目節目の決断にフォーカスして、お話しを伺っていきたいと思います」
 

武藤「よろしくおねがいします」
 

<武藤真祐氏>
 
 

伊賀「御著書によると、6歳の時に野口英世氏の人生と功績に関する展覧会で感銘を受け、医者を志した、とのことですが、小さい頃はどんな子どもだったんですか?」
 

武藤「埼玉県の郊外に住んでいました。母が公文式のイベントに連れていってくれた時、私がとても楽しそうにやっていたということで、公文教室に通うことになりました。
 
そこではできるとどんどんやらせてもらえるので、小学校に入る前から小6の算数を解いたりして神童扱いされ、テレビにでたりもしていたんです」
 
伊賀「すごいですね。でも公文式ではすぐに物足りなくなったでしょう?」
 
 

 
 

武藤「父の仕事の関係で、小学校4年生の時にイギリスのケンブリッジに一年間住むことになったのですが、『渡英前に日本でしっかり勉強させておかないと』と考えた両親が、小3の私を塾の小4クラスに入れたんです」
 

伊賀「えっ、塾の飛び級ですか? そんなことが可能なんですか?」
 

武藤「家から電車で通う大きめの街にあった塾なので、周りは私が小3だと知らなかったかもしれません(笑)」
 

伊賀「もしかしてお父様は教育パパだったのかしら。お父様も医師ですか?」
 

武藤「いえ、父は英文学が専門の大学教授でした。そういう学問の研究者って、家で本を読んでいる時間も長く、子どもの教育にあれこれ関わる時間があったんでしょう」
 

伊賀「お父様は英文学者だったなら、息子に医者になれとは言われないでしょう? それはやっぱり野口英世氏の影響ですか?」
 

武藤「私自身、当時から『困っている人の役に立ちたい』という気持ちは持っていたと思うんです。ご存じのとおり彼は、貧しい環境で不自由な体だったのに、必至で努力をしてあそこまで上り詰めました。そして社会や人のためになる功績を残している。自分もこうなりたい、と思いました」
 
伊賀「医者になりたいというのと、東大の理Ⅲを目指すのは、独立した目標だと思うのですが、やっぱり最高峰のところで勉強したいと思われたのでしょうか?」
 

武藤「医者になりたいとは思っていましたが、最初から理Ⅲが目標だったわけではありません。開成中学校に入った頃は成績もそこまでよくなかったです。ただ、高校に進んで成績が上がって可能性がでてくると、もともと負けず嫌いだし、努力して結果を残したいという気持ちにはなりますよね」

 
 

<祐ホームクリニックのウエブサイト>

 
 
伊賀「たしかにそれは自然な気持ちですね。御著書では、友達とも遊ばず勉強していたと書いてありましたけど・・・」
 

武藤「確かに小学校の頃は、友達と遊ぶより勉強している方が好きな子どもでした。でも高校でも1,2年の頃は友達の家で麻雀をしたり、それなりに息抜きもしていました。さすがに高三の時はかなり頑張りましたけど(笑)」
 

伊賀「大学の合格発表を見た時はどんな気持ちでしたか?」
 

武藤「ほっとしましたね。これでもう人と競争しなくていいんだと思えて。大学に入って初めて人間らしくなれた気がするくらいです」
 

伊賀「やっぱりそこまで過酷な勉強が必要なんですね。理Ⅲは定員も100名未満だし、現役で入るのは数十人ですものね」
 

武藤「ごく少ない椅子を、知っている人の間でとりあっているようなものですから、自分が合格するか、あいつが合格するか、という世界です。大学に入った時は、『これからは自分の好きなことを何でもやっていいんだ!』という開放感に包まれました」
 

伊賀「頑張った人だけが得られる開放感ですね。でもそれじゃあ、大学に入って数年は遊びほうけてしまうのでは?」
 

武藤「その通りです。駒場の間はひたすら麻雀をやっていました」
 

伊賀「そうなんだ(笑)。周りの人も同じですか?」
 
 

<東大医学部時代の武藤氏>

 
 

武藤「2割くらいは入学後もガリガリ勉強していますが、大半はそうなります。ものすごく大きなものから解放されたわけですから」
 

伊賀「大学の勉強はそんなに大変じゃないんですか?」
 

武藤「当時のカリキュラムでは、1,2年生は教養課程、3,4年生は医学関連の座学、5,6年生は病院実習に行きます。
 
基礎としての座学は重要ですが、受験勉強と同じように、教科書を読んで覚えてテストを受けるという形ですし、医師の国家試験は大学受験の合格率とは比べものにならないほど高いものですから、高校時のマインドとはやはり違ったように思います」
 

伊賀「医学部生って、大学受験という最難関を突破すると、次の目標が見つけにくくなる部分もあるんですね。でも病院実習が始まれば、違うのでは?」
 

武藤「目標を見失うというわけではないのですが・・、病院実習を振り返ると、今と違って当時は学生はお客様扱いという感じで、必ずしもチャレンジングなものではなかったようにも思います」
 

伊賀「1,2年間ならともかく、6年もそれでは退屈してしまいませんか?」
 

武藤「生意気にも、少しその傾向がありました。それで、アメリカの医師資格を取ろうとおもったんです。医学部だと5年生から受けられるので、3段階あるテストのうち、最初の基礎科目のペーパーテストには5年生の夏休みに合格しました」
 

伊賀「たとえ英語でもテストは完璧ですね(笑) 留学とかは?」
 
 

★アメリカ留学で人生初めての挫折を経験★

 
武藤「6年生の時、ハーバード大学の医学部の関連病院に2ヶ月、留学しました。でもこれが・・・大変でした」
 

伊賀「英語がわからない?」
 

武藤「英語もまったくわかりませんよね。でも、それに加え、医学関連の質問も全くわからなかったんです。

 
たとえば病院で患者さんの症例をみながら、『この病気の診断基準を5つ言ってみなさい』みたいな問いにも全然答えられない。アメリカの医学部の学生は答えられるのに、私は答えられなかったんです」
 

伊賀「それはなぜですか? 武藤さんだって、ちゃんと勉強していたんですよね?」
 

武藤「勉強の仕方が全然違っていたんです。私たちは各科目の教科書を読んで、テスト前にそれを暗記して、テストを受けたら終わりです。まさに座学なんです。

 
でもアメリカの医学部の学生は、実際に医者になったら必要になることを、きちんと勉強してる。それも、私たちよりよほど一生懸命勉強していました」
 
 

<東大医学部時代の武藤氏>
 
 

伊賀「武藤さんが受けていた日本の医学部の勉強方法は、高校までの受験勉強と同じ方式だったけど、アメリカの医学部生は、医師として仕事をするための職業訓練をきちんと受けていた、ということですね?」
 

武藤「その通りです。あれは私にとって人生初めての挫折で、本当に大きなショックでした。『できない自分』に出会ったのが初めてで、自分でその事実を受け入れられないんです。毎日つらくて、2ヶ月の予定で留学したのに、渡米数日後から『あと50日で帰れる・・』と指折り数えていました」
 

伊賀「そんなに苦痛だったんですね。そして精神的にも大きなショックだった・・」
 

武藤「悔しくていろいろ考えました。もちろん自分が悪いんです。自分の努力が足りなかったからできないんです。

 
でも、医学部に6年も通っていたのに、誰一人こういう学び方ではだめなんだと教えてくれる人はおらず、日本ではそれに気がつくことができませんでした。そのことにも大きな疑問を感じました」
 

伊賀「医学教育全体への疑問が出てきたわけですね。その体験から何か考えが変りましたか?」
 

武藤「リベンジしたいと思いました。出直してきて、次は絶対にアメリカで高い評価を得たい、と。具体的には、アメリカの大学で教授になろうと思いました」
 

伊賀「なるほど。それで日本に戻ってきたら・・・」
 

武藤「つらい50日でしたが、日本に戻ってきたら、自分の価値観がすっかり変わっていることに気が付きました。
 
世界のトップレベルを目の当たりにした衝撃は大きくて、『ここに入れば人生は完成する!』と思っていた東大医学部生という座を得て輝いていると思っていた自分が、一気に色あせて見えたんです」