医師としてのキャリア形成 自分のゴールを見つけるために

 


伊賀「アメリカで人生初めての挫折を味わい、その後日本に戻って、医師としてのキャリアをスタートされたわけですが、医師としては一般的なコースを歩まれたのでしょうか?」
 
武藤「当時は医局制度がしっかりしていて、医局の教授が若い医師の配属先を決めていました。私は東大の付属病院で研修医として一年働き、その後、三井記念病院の循環器内科で働きました」
 
伊賀「今は医師の方も自由に研修する病院を選ぶのですよね?」
 
武藤「今は当時と全く違います。自分で職場(病院など)を探し、面接を受けて採用される、というごく普通の就職活動が行なわれていますね」
 
伊賀「そのために地方では医師の確保がすごく難しくなっていると聞きます。医師が自分で職場を選べるのは悪くないと思うのですが、一気に市場化が進むと弊害もでてきますね」
 
武藤「今までと異なり、いろんな分野の研修を受けるなどプログラムも整備されて、メリットもあるんですけれどね。
 
また、一般的な傾向として医局で教授になるより、臨床で力を発揮したいと考える人も増えているので、医局の在り方も以前とは少し変わってきたと思います」
 
 

<診療風景>

 
 
伊賀「当時は、研修医の後は研究に戻り、博士号をとって、その後も医局の中で経験を積みながら教授を目指すというのが、一般的なコースというか、武藤さんの目指していらしたコースですね?」
 
武藤「そうですね。特に私の場合は、臨床の結果をまとめて医学博士になるのではなく、本格的な研究をしたいと考えていました。アメリカで教授になりたいとも思っていましたし」
 
伊賀「実際にそういう道に進まれたのですか?」
 
武藤「ちょうどその頃、循環器分野のトップになられた大御所の先生にそういう希望を伝えたところ、ご紹介を受けて、医学ではなく分子細胞生物学の基礎研究をされている先生の下で勉強することになりました」
 
伊賀「医学の臨床を離れて完全に研究者として働かれたわけですね」
 
武藤「でもここで、私は2回目の挫折を味わってるんです」
 
 

★経歴に頼る生き方を否定され、自分の存在意義を模索★

 
伊賀「どういう挫折ですか?」
 
武藤「その教授は、アメリカで卓越した論文を何本も発表されていて、高い実績を挙げておられました。そして教育者としてもすごく厳しくて、私だけではないですが、研究生はみんな毎日怒なられ、叱られ続けていたんです」
 
伊賀「どんなことで叱られるんですか?」
 
武藤「細かいことで言えば実験器具の整備が完璧でない、という理由で何時間も怒られます。『神は細部に宿る』という言葉がありますが、そういうことをきちんとやらずして突然スゴイ成果が出たりはしないと言われたかったのでしょう。
 
でも私にとって本当につらかったのはそれよりも、開成、東大医学部といった経歴を頭から否定されたことです」
 
伊賀「その先生はそういうご経歴ではないんですか?」
 
武藤「ご出身は薬学部で、米国での研究がすばらしく、評価された方でした。自分の実力で評価された方から見ると、私のような出身学校や所属組織の名前で勝負しているように見える人間は、なにかが間違っているように見えたのでしょう」
 

<恩師 永井良三教授と>
 
 
伊賀「すごいつらかった?」
 
武藤「毎日、朝起きた時に研究室に行きたくなくて、死んだ方がましかもしれないとも思うくらい、日々、自己否定され続けました。毎日怒られているばかりで論文も書けない。なんのためにこんな生活をしているのかと・・」
 
伊賀「でも逃げ出さなかったんですよね?」
 
武藤「ここで逃げたら何も残らないと思いました。当時は理不尽だと思っていたけれど、でも、毎日毎日否定されると、自分の存在意義について深く考えるようになります。
 
問答無用で否定されたからこそ、自分がそれまで依って立ってきた東大医学部だとか、そういう看板を超えて、自分は何を目指すべきかと考えました。先生もそれを期待されていたのだと思います」
 
伊賀「なるほど。しかも人を怒るって、恨まれるし、けっこうエネルギーが要りますよね。どうでもいい人を怒るなんて面倒です」
 
武藤「今になれば、愛情をもって叱って下さっていたとわかるし、教育者としてやるべきことをやっていただけ、と理解できます。30歳にもなった大人を、あそこまで叱ってくださる人に出会えたのは幸せなことでした。
 

結局、私はその研究室で博士号をとり、その後も2年間残ったんですよ。論文も6本仕上げました」
 
伊賀「最初は毎日、研究室に行きたくなかったのに? それはすごいです(笑)
 
そしてその後は、侍医になられたのですね?」
 
武藤「侍医を拝命する少し前から、自分のキャリアについて悩んでいました。教授になるには研究者として実績を挙げることが重要ですが、それが本当に自分のやりたいことなのか、よくわからなくなっていたんです」
 
伊賀「この頃に、子どもの時からずっと目指してきたゴールに迷いが生じたんですね? それでどうされたんですか?」
 
武藤「あいている時間で、グロービスという通学制のMBAコースに通って勉強してみました。ファイナンスや会計やマーケティングなど、コアコースを全部とりました」
 
伊賀「それはまた一気に畑違いのところに足を踏み入れましたね。内容はおもしろかったですか?」
 
武藤「最初は単語の意味もわかりませんでしたが、すごく興味深かったです。内容もですが、一緒に学ぶ人もビジネスパーソンなど、今まで会ったことのない人ばかりで、話も新鮮で世界が拡がりました」
 

<武藤真祐氏>

 
 
伊賀「そこからマッキンゼーにつながったんですね?」
 
武藤「最初はアメリカのMBAに行こうかと思っていたのですが、人に相談してみたら、『MBAというのはマッキンゼーに入るための学校でしょう? いまさらそんなところに行くより、最初からマッキンゼーに入ってみたらどうですか?』と言われて、そうか、そういう考え方もあるかと思ったんです」
 
伊賀「それでマッキンゼーの人に話を聞きに行った?」
 
武藤「人づてで会える人を捜して話を聞きに行きました。そしたらみんな話がおもしろいし、オフィスも東京タワーの近くにあってかっこいい(笑)」
 
伊賀「オフィスが格好いいことは大事なんですね(笑)
 
それにしても、すごく積極的ですね。医師として順風満帆のコースを進んでいらしたのに、わざわざお金と時間をかけてグロービスに通ったり、オフィス街まで話を聞きに行ったり」
 
武藤「小さいころから医者になることが目標でした。でもそれはある意味“定番のゴール”であり、その世界の常識から与えられたゴールでした。
 
私はこの当時、生れて初めて“それとは違う、自分自身のゴール”を探していたんです。そのためには、たくさんの人と会い、今までと違う場所に足を運ぶ必要があると考えたんです」