研究者からバイオベンチャーの社長へ


伊賀「3Mを辞め、リプロセルに転職した理由を教えてください」
 


<新横浜にあるリプロセルオフィス>
 
 

横山「7年間3Mにいて、ひとつのプロジェクトが終わったタイミングでした。3Mにい続けるなら、また新たな事業企画を自分から提案し、チームを形成して、というプロセスを最初から始めることになります。つまり、一区切りがついたタイミングだったということですね。
 

だから、このまま3Mでいくのか、他の仕事をするのか、考えるいい時期だったんだと思います」
 

伊賀「そのまま3Mにい続けようとは思いませんでしたか?」
 

横山「いい会社だったから、それもありうる選択肢でした。
 
でも日本の会社は住友3Mというんですが、やはり外資系企業の子会社の限界というのを感じました。仮に、ポジションがかなり上になっても、意思決定とか、投資判断とかで、かなり制約がありましたね。
 

『ここで偉くなれたら、本当に自分としておもしろいのかな?』という疑問も感じていました」
 

伊賀「それで外の機会もみてみようと思ったんですね。どうやって今の会社(リプロセル)を見つけたんですか?」
 

横山「転職エージェントに登録して、紹介を受けました」
 

伊賀「転職エージェントには、どういうリクエストを出して仕事を探したんですか?」
 

横山「とにかく『なにか新しいことをやりたい』と言いました。『大企業でも新興企業でもいいけれど、新しいことがやってみたい』と」
 

伊賀「当時の年齢はいくつでしたっけ?」
 

横山「その時で36才です」
 

伊賀 「じゃあホントに“キャリア形成の本番”という年齢ですね。一生をかけられる仕事を探すタイミングですね」
 

横山「そのとおりです」
 


<リプロセル 製品パンフレット>
 
 

伊賀「他の大企業のポジションという選択肢もあったようですが、なぜ小さなスタートアップを選んだんですか?」
 

横山「なんだか夢がありそうだったんですよね。本当に人のためになる仕事ができるような気がしました。バイオの魅力は、人々の健康に直接貢献できる仕事だということだと思います。また、当時は大変なバイオブームだったというのもあります」
 
 

★バイオベンチャーブームの実態は?★

 

伊賀「そういえば、バイオベンチャーブームってありましたね。懐かしい。リプロセルもその一つだったんですね」
 

横山「そうです。アメリカでアムジェンというバイオベンチャーが大成功して、瞬く間に武田薬品を凌ぐような大製薬会社になりました。アメリカのバイオブームも頂点で、日本にもそのブームが伝染していました。
 

当時、“大学発ベンチャー1000社計画”っていうのを国が提唱していて、その枠組みに乗っかって、多くの大学発ベンチャーができていました。
 
リプロセルは、細胞医療分野の第一人者である京大の中辻憲夫先生と東大の中内啓光先生の研究に、ベンチャーキャピタルがお金を出す形でできてたんです。
 

そのベンチャーキャピタルが、リプロセルの社長ができる人材を探していて、エージェントに人捜しを頼んでいた、という経緯です」
 

伊賀「2003年にリプロセルが設立、横山さんが入社したのが2004年ですから、まさにゼロからの起業に近い感じですね?」
 

横山「はい。でも正直言うとゼロからというより、マイナスからの出発でした」
 

伊賀「それはどうして?」
 


<インタビュー当日>
 
 

横山「全部とは言いませんが、当時の大学発バイオベンチャーにほぼ共通して言えたことだと思いますが、バイオというだけでブームに乗っかって、事業の方向性や計画もなく、少なくとも『会社』という感じではなかったですね。
 
ビジネスをやろうという感じじゃなくて、基礎研究の成果を特許にして、それがそのままIPO(株式公開)につながるという感じです」
 

伊賀「じゃあ、横山さんが入社した時には事業計画もなかったんですね? それで横山さんが先生と投資家の間をつないで・・?」
 

横山「はい。しかも資金もどんどんなくなりますから、新しい出資者探しも必要ですし、当時の社員も、同じような意識で基礎研究をやっていればいいと思い込んでいて、事業をやっていこうという気は全くなかったし」
 

伊賀「それは大変そう・・。どこから手を付けたんですか?」
 

横山「まずは、関係がありそうな人、全員にヒアリングをしました。なにかしら商売のネタを探し出して、事業プランを考えないと始まりませんから。 『この会社で何をやるべきなんだ?』と、そこから考えなくちゃいけない状態だったので」
 

伊賀「それは完全に起業ですね。というか、起業よりマイナスかも。普通は起業する際にはどんなビジネスをするかは、固まっているものですよね」
 

横山「そうなんです」
 

伊賀「それでなんとか事業のネタを見つけ、事業計画を立てて、次は何をしたんですか?」
 

横山「社員に『仕事』をしてもらうことです。
 
大学の研究じゃなくて、ビジネスにつながる仕事をしてもらうために何度も話し合いました。その甲斐もあって、社員の意識も進み、徐々に変わっていきました。

 
彼らはそれまで大学のラボで働いていたので、リプロセル独自のラボを作り、物理的にこっちで働いてもらうように変えたり・・」
 

伊賀「それは先生との話し合いも大変そうですね」
 

横山「元々、両先生とも、リプロセルが成功することに関しては強い情熱をもっておられたので、本質的には問題ありませんでした。

 
ただ、私はこの業界の新参者で、先生方はこの分野の第一人者ですので、まずは信頼関係を築くところが重要だと思いました。
 
なので、先生方とよく話し合いましたね。最終的には、両先生とも私の方針に賛同いただき、色んな場面でサポートしていただきました」
 

伊賀「ネタを探して事業プランを作り、社員の体制を整えて、・・次は何ですか?」
 


<リプロセルのオフィスにて>
 
 
横山「資金が底をつきかけていました。入社3年目くらいの頃は、ホントに倒産するんじゃないかと思いました。毎月、『もう数ヶ月持つだろうか?』という感じで、綱渡りだったんです」
 

伊賀「資金繰りのためにはどんなことを? 銀行がお金を貸せる状態じゃないですよね。なんの担保も実績もないし」
 

横山「ベンチャーキャピタルを30社以上、回ったと思います。でも全然だめ」
 

伊賀「なぜですか?」
 

横山「今度は“バイオ”っていうだけでダメなんです。リプロセルができた頃は、日本は国を挙げてのバイオブームで、中身が何にもなくてもベンチャーキャピタルはお金を出しました。リプロセルだけじゃなくて、そういう会社が山ほどあったんです。
 

でもそんなブームに乗ってできた会社は、当然、みんな潰れていく。それどころかどんどん追加出資が必要な状況に陥っている。ベンチャーキャピタルからみれば、『バイオはもうダメ』というか、『バイオベンチャーは、投資ポートフォリオの中にもう一社たりとも追加できる状況じゃない』という状態でした。
 

リプロセルという個別企業の将来性がどうとかは全く関係なくて、頭から『バイオベンチャーにはもう一円もお金は出せません』という状況になっていたんです」
 

伊賀「日本は、ブームで“ガー”と盛り上がって、みんな何も考えずに踊り始め、それが終わると全員が手のひらを返すっていうパターンが多いですよね・・・」
 

横山「誰も自分のアタマで考えてないですから。横並びだから全員が同じ方向に動くんです。『バイオだー!』、『バイオはもう終わりだー!』って感じですね」
 

伊賀「で、どうしたんですか? お金はどこから調達したんですか?」
 

横山「事業会社から少額ずつ集めました。小さいながらに取引先があったので」
 


<最近はビジネス誌に有望ベンチャーとして取り上げられることも>
 
 

伊賀「事業会社はベンチャーキャピタルと違うということでしょうか?」
 

横山「事業を見て判断してくれますよね。ベンチャーキャピタルのように、短期的に大きな利益を出そうと狙っているわけでもないですし」
 

伊賀「事業プランを作って、社員を集めて、ラボを作り、資金も調達した。ほんとに会社をゼロから作った感じですね。その後は、順調に進んでいますか?」
 

横山「ようやく前に進み始めたという感じです。まだまだではあるけれど、今はiPS細胞関係で、実際に商品を作って売っている日本で唯一の会社ですから、それなりの信用も出来たし、少しずつ取引も広がっています」
 

伊賀「すばらしいです!」