英語を活かせる国際的な仕事? 40代で天職に巡り会うまで


伊賀「篠田さんは、糸井事務所のCFO (Chief Financial Officer) ということですが、そういえば最初は銀行務めだったし、ビジネススクールも金融に強いウォートンでしたね。
 
今日はここに至るまでの、キャリアの紆余曲折(?)について、じっくりお話をお聞きしたいです」
 

<聞き手 伊賀泰代>
 
 

篠田「よろしくお願いします!
 
周囲からは、今の仕事をするために必要なキャリアをすべて、計画的に積んで来たように見えると言われるんです。でも実際には全くそんなことはなくて。おっしゃるとおり“紆余曲折”があって漂流し、気がついたらここに辿りついていました」
 

<篠田真貴子さん>
 
 

伊賀「では、最初からお聞きしていきましょう。小さい時はアメリカに?」
 
篠田「小学校に入る4ヶ月前に父の仕事の関係で、家族で渡米しました。何もわからない年齢ですが、私は嬉しくてはしゃいでいましたね」
 
伊賀「現地校に通われたんですよね。 それくらいの年齢だと言葉もすぐに覚えられそうです」
 
篠田「言葉は2年もたてば問題なくなりました。同級生が持ってくるランチはパンにピーナツバターを塗っただけのものなのに、母が持たせてくれる私のお弁当はすごいカラフルで豪華とか、そういう違いはありましたけど(笑)、特にいじめられることもなく楽しく過ごしました」
 

<アメリカで小学校一年生の頃の篠田さん>
 
 
伊賀「小学校4年生の途中に帰国して、中学で慶應中等部に合格してるんですよね。女子では一番難しい学校でしょう? お受験は大変でした?」
 
篠田「大変でしたけど、自分が行きたいと思って受験をしたので苦にはなりませんでした。

 

あと、普通は四谷大塚っていう当時定番だった進学塾にいくんですけど、私は個人の先生に教えて頂きました。その先生との相性がよかったんだと思います」
 
 

★高校時代のホームステイで自立心を★

 
伊賀「慶應では中学校が共学で、高校が女子校ですね。どんな中高時代だったのかしら?」
 
篠田「文化系の生徒ですね。マンドリンクラブと、あと中学校ではガールスカウトにも参加するなど、活発な子どもでした。
 

最初から慶應義塾大学に進むつもりだったので、受験勉強もなく、のびのびと自由な6年間でしたね」
 
伊賀「英語も忘れないように勉強してたんですよね?」

 
篠田「高2の時にオレゴン州に一年、交換留学に行きました。ホームステイして。ただ、ここでの経験はちょっと強烈でした」
 
伊賀「初めて両親と離れてひとりで海外暮らしをしたからですか?」
 
篠田「それもありますけど、高校がインディアン居留地の近くで、人種間のいざこざもあれば、マリファナをやってる子もいる。妊娠しちゃう子や、未婚の母になる子、すぐにドロップアウトしちゃう人も珍しくない場所だったんです」
 
伊賀「あらま、そんな高校にひとりで留学したらビビリますよね!? しかも篠田さんは、いわゆる“いいところのお嬢さん”なのに・・」
 
篠田「余り馴染めないまま1年が過ぎました。でも、あの年齢でああいう世界を見知ったことには、大きな意味があったと思います」
 
伊賀「強くなって帰ってきたということですか?」
 
篠田「世界が拡がったし、そんな環境で、親が守ってくれなくても自分でなんとかやっていけるという自信もつきました。自立心が身についた一年だったと思います」
 
伊賀「そこまでではなくても、早いうちにひとり暮らしを経験するのは大事ですよね。
 

私も大学からひとり暮らしをして、風邪をひくとか、停電するだけですごく心細いものなのだと初めて知りました。親のありがたみもわかるし、強くならなくちゃ!という決意が生れます」
 
篠田「会社に入ってから留学という人も多いですけど、 もしチャンスがあるなら、高校時代でも大学でも、積極的にひとりで海外で住んでみる経験は大きいと思います。旅行だけでは見えない、いろんなものが見えてきますから」
 


<慶應中等部の入学式の朝>
 
 

★父のような国際派ビジネスパーソンになりたい!★

 
伊賀「大学は慶應の経済学部ですよね。これは迷い無く決めたんですか?」
 
篠田「他大学を受けることは考えていませんでした。受験はまったく念頭に無くて、「偏差値」の意味も知らないくらいでした。
 

学部は・・今思えば理系もありえたと思います。理系の科目も好きだったし得意だったんですよね」
 
伊賀「でも経済がおもしろそうだった?」
 
篠田「中3の時、社会の先生が経済学の基礎を少しだけ教えてくださったんです。その時に聞いた、モノの価格と量がどう決まるか、という理論が衝撃的で、今でも黒板に描かれた図を思い出せるほどです。
 

さらに、ビジネスマンだった父に憧れていたのが大きいですね。海外出張や海外赴任をしながらバリバリ働く父がすごくかっこよくて、自分も絶対ああなりたいと思っていました。それなら経済学部が一番いいのかなと・・」
 
伊賀「女の子がお父さんに憧れるって、けっこう珍しい気がします。そんなにお父さんがかっこいいなら、お父さんみたいな人と結婚したい、という方向はなかったんですか?」
 
篠田「・・なかったですね! 私はずっと、自分自身が父みたいになりたいと思っていたんです」
 
 

★バブルの真っ只中に銀行へ★

 
伊賀「そういえば大学時代はバブル期ですよね? 内部進学の慶應大学の文系学生さんの生活って、かなり派手そうですが(笑)」
 
篠田「特別派手に遊んでいたわけではないんですけど、確かにやりたいことは何でもできる時代で、将来の不安もゼロという感じでした。
 
大学生がイベントを企画するといって、子どもの作文みたいな資料を作って提案すると、あちこちの企業がスポンサーしてくれるような時代でした。私も含め、みんなちょっと勘違いしていたかもしれません」
 

<バブル期に大学を卒業(大学卒業時の謝恩会)>

 
 
伊賀「学生が一流ホテルやクラブでの大イベントを主催してましたよね。篠田さんの就職活動って1990年だから、こちらもバブルど真ん中ですね」
 
篠田「今は学生が企業に資料請求をしますよね。でも当時の就活では、請求なんてしなくても山ほどの資料が自宅に届けられてました。OB訪問も申し込むものではなくて、向こうからどんどん誘われる・・」
 
伊賀「長銀に就職していますが、最初から金融機関を志望していたんですか?」
 
篠田「いえ、最初はソニーに入るつもりだったんです。帰国子女だったので、海外で高く評価されている日本企業の代表として憧れていたし、当時のソニーでは若くして海外に転勤させるというキャリアパスがあったので」
 
伊賀「それがなぜ、日本長期信用銀行に?」
 
篠田「バブルの真っ直中だったので、先輩の大半が金融業界に就職していました。
 

それに金融期間は内定を出すタイミングも早くて、内定がでると女子学生でもそれなりに拘束を受けます。怒濤のような就職活動に疲れてしまったこともあって、ちょっと流される感じだったかもしれません」
 
伊賀「超売り手市場の時代の就活では、よほど自分の希望や意思が強くないと、勢いに流されてしまいますよね」
 
篠田「マスコミや広告、外資系など、『絶対ここに行く!』と固く決めていた学生以外は、多少なりとも時代に流されたところがあったと思います。それに当時の金融機関はとても人気が高かったので、自分としては満足もしていました」
 
伊賀「まさかその7年後にあんなこと(長期信用銀行の実質破綻・国有化)になるとは、想像もできない時代でしたよね」