英語を活かせる国際的な仕事? 40代で天職に巡り会うまで


伊賀「1991年に長銀に入行。配属は市場資金部ですね。日々のポジション管理が仕事でしょうか。仕事はどうでしたか?」
 
篠田「それが私、全然、仕事ができなかったんです」
 
伊賀「どういうことですか?」
 
篠田「新人だから、いきなり資金繰りを担当するわけじゃなくて、決済伝票にゴム印を押したり、当時はパソコンではなく電卓で資金額を計算していたんですが、そういうことが苦手なんです」
 

<内定直後にパーマをかけて>
 
 

伊賀「いったい、それの何が難しいんですか(笑)?」
 
篠田「笑えますよね。ゴム印が斜めになってしまったり、ハンコの日付を変更するのを忘れたりとポカミスが多くて。電卓の計算も何度やっても縦横の合計が合わないんです(笑)」
 
伊賀「細かい仕事が苦手なんですね。銀行って事務処理会社ですから、書類作成や計算が苦手な人には向いてないですよね」
 
篠田「加えて、短期金融市場での資金繰りという仕事の何がおもしろいのか、よくわからなかったんです。

 
デキる先輩はみんな、“32分の1%”でも安く資金を調達するために血眼になってるんですけど、私はそういうことに全く興奮できなかったんです」
 
伊賀「確かにああいう仕事をおもしろいと思えるかどうかも、適性によりますよね。

 
それで部署を異動したんですか?」
 
篠田「人事面談の際に、この仕事には興味も持てないし向いているとも思えない、できれば海外関係の仕事をやりたいって希望したら、マーケット企画部に異動になりました」
 
 

★破綻に向かう長銀を退職し、アメリカへ★

 
伊賀「そこではどうでしたか?」
 
篠田「仕事は一気におもしろくなりました。会社の全体像が見え始めたし、シニアな人達の考えていることとかに触れて、すごく勉強にもなって」
 
伊賀「でも1993年あたりから、長銀で会社の全体像が見え始めたら、ちょっとヤバイこともいろいろ見えてしまったのでは?」
 
篠田「長銀にいたのは1995年までで、国有化される3年前までです。
 

当時の私はまだ“ぺーぺー”ですから詳しくはわかりませんが、頭取が国会に証人喚問をされているのをテレビで見たり、優秀な先輩が名前も聞いたこともないような子会社に次々と出向していくので、何か妙なことが起こりはじめているとは感じていました」
 
伊賀「不良債権処理のための出向ですね。実態は相当大変だったんだと思います。篠田さんは、その後、留学をするわけですけど、それは長銀が傾き始めたからですか?」
 
篠田「いえ、関係ありません。私にとって、留学は大学生の頃から決めていた既定路線でした。

 
ただ、さっきも話したように、私は銀行員としては落ちこぼれだったので、企業派遣で留学できる状態ではありませんでした。なので自費留学で準備を進めました」
 

<篠田真貴子さん>
 
 
伊賀「この頃、結婚もされたんですよね?」
 
篠田「留学と結婚が一緒に決まり、夫も一年遅れでの留学を目指して準備をすすめていました。
 

日本経済は右肩下がりだったし、勤め先の長銀も危なかったけど、私の人生自体は上り調子で、向かうところ敵無しって感じでした(笑)」
 
伊賀「すごい。バブルははじけても、篠田さんは天下無敵ですね(笑)」
 
篠田「今から考えれば、あの時点でもっといろいろなことに気がつけたはずだと思います。
 
なぜ自分は金融機関に入ったのか、どういう仕事が自分に向いているのか、本当は自分は何がやりたいのか、など考えることはたくさんありました。
 

でも当時は深く考えることなく、ただ新しい生活が始まることに浮かれていました」
 
 

★国際機関への憧れと現実の理解★

 
伊賀「留学はビジネススクールのWharton と、国際関係論のJohns Hopkins と両方に行かれたんですよね」
 
篠田「3年でふたつの学校の学位がとれるデュアル・ディグリーの制度があるとわかったので、両方取ろうと思いました」
 
伊賀「国際機関の仕事にも関心があったんですね」
 
篠田「世界銀行に入りたいと思っていたんです。金融のバックグラウンドもあるし英語も得意で、海外で働きたい。だったら世銀かな、と思って」
 
伊賀「お勉強のできる帰国子女のお嬢さんが抱く、典型的なキャリアパスですね(笑)」
 
篠田「まったくです(笑)」
 
伊賀「でも世銀には就職してませんよね? 応募はしましたか?」
 
篠田「応募もしてません。Johns Hopkinsで勉強していると、無料でよければ世銀の各機関でバイトもできるし、先生にもそういうところ出身の人が多いから、世銀や他の国際機関のことがすごくよくわかるんです。
 

そしたら、国際機関ってものすごいガチガチの官僚機構だと気がついて、行く気がなくなってしまったんです」
 


<John Hopkins Universityにて>

 
 
伊賀「銀行の事務処理が苦手だった人に、すべてを書類で処理する国際機関が合うとはとても思えません(笑) それにしても、ソニーに憧れ、その後は国際機関に憧れる。どちらも帰国子女の方の典型的な志望企業ですよね」
 
篠田「何も考えて無くてイメージだけで志望してたので・・」
 
伊賀「いえいえ、みんな同じようなものですよ。憧れる選択肢のパターンが違うだけです。
 
帰国子女だとソニーと国連に憧れるけど、地方出身で成績がいいと医者か弁護士の二択、東大法学部だと法曹と霞ヶ関のどっちにしよう、みたいな・・。
 

みんなそういうところからスタートして、試行錯誤しながら少しずつ自分のやりたい仕事に近づいていくんだと思います」
 
篠田「そうですね。実際、やってみないと向き不向きがわからないことがありますよね。
 

私は銀行に入って初めて、自分が細かい作業が苦手だと気がつきました。だから世銀の時には、応募する前に『ここは違う!』とわかったんです」
 
伊賀「最初の仕事選びの経験から、学びがあったというコトですよね」
 
篠田「仕事って、毎日やっている具体的な作業が自分に合っていないと続かないと思うんです。世銀の使命には共感できても、日々やることが好きでないと仕事にはできません
 
伊賀「Whartonだと、投資銀行に行く人も多いと思いますが」
 

篠田「たしかにWhartonにいったおかげで、金融業界のこともよくわかりました。

 
あそこで私は、来る日も来る日も金融端末の前に一日中座り続け、刻々と動く数字を追いながら、他の人が気づかないスプレッドの変化に真っ先に目を付けて・・みたいな仕事が、自分は全然楽しいと思えないんだと気がつきました」
 
伊賀「篠田さんにとってのキャリア形成とは、自分に合わないものを選択肢から排除していくプロセスだったのですね」
 

<ビジネススクール時代の友人と中国への研修旅行で>
 
 篠田「時代的にも環境的にも恵まれていたし、怖いモノ知らずの性格でしたから、仕事選びに関しても『なんでもできる!』という万能感からスタートしてるんです。実際、少々自分が不得意な分野であっても、職は簡単に得られてしまう状況でした。
 
でも、なんでもできるからといって、なにをやっても同じように楽しいわけではありません。私の場合、多大な時間とコストを掛けて、40代に近くなって、ようやく自分が心から楽しいと思えることがわかってきたという感じです」
 
伊賀「そのことについては、次回、お聞きしていきますね」