子どもの頃の激しい“情報への飢餓感”が、メディアで働く原動力に!


伊賀「慶応義塾大学の経済学部だと、最初の2年間は日吉ですよね。どんな大学生活だったんでしょう?」
 
田端「授業は全くおもしろくなかったですね。すぐに行かなくなってしまって必須科目の統計学を落とし、留年しました。」
 
伊賀「学校に行かずに何をしてたんですか?」
 
田端「ネットにはまり始めていました」
 

<学生の頃の田端氏 バイト先にて>
 
 

★ネットスケープIPOの衝撃★

田端「私が大学2年の1995年にネットスケープ・ナビゲーターという世界初めてのブラウザを作った会社がIPOをして、創業者らが一夜にして億万長者になった、といったニュースを見たんです。
 
その時、創業者のひとりであるマーク・アンドリーセンは当時まだ24歳で、テレビで見ると、自分となんにも変らない普通のお兄ちゃんなわけですよ」
 
伊賀「それが衝撃だったんですね?」
 
田端「世界ではすごいことが起こり始めてると思い、すぐに秋葉原にモデムを買いに行き、ネットサーフィンを始めました。当時はダイヤルアップでネットにつなぐんで、月の電話代が5万円とかになって大変でした(笑)」
 
伊賀「そういえばWindows98が発売された1998年当時、ビル・ゲイツ氏が出張で日本に来て、NECの社長とランチ食べる時、お昼は何がいいかと聞かれてハンバーガーと答え、NECのシニアな役員を何人も引き連れてマクドナルドでバーガーを食べたというニュースをやってました(笑)
 
技術が既存のヒエラルキーや常識を完全に覆してしまうという勢いがありましたよね。そして日本でも、若い技術者でネット企業やIT企業を興す人がたくさんでてきました。学生だった田端さんはどんなことをされていたんでしょう?」
 
田端「見様見真似でHTMLの日本語のところだけ変更してFTPでアップロードしてみるなどして、パソコンを触ってネットでサイトを作ったりしていました。
 
そのうちに、デジタルハリウッドが秋葉原の近くの神田淡路町にできて、ネットで知り合った人に誘われて、その学校の講師助手のバイトを始めました」
 
伊賀「秋葉原に出入りしはじめたんですね」
 
田端「バイトの合間に無料でネットサーフィンができるだけでも楽しかったです。それなのにお金ももらえて、かつ、結構ちゃんとした会社の社員が生徒としてやってくるんです。
 
私は彼らに『ああ、ここのタグが閉じられてないですね、スラッシュ入れてください』とか言って教えてるんですが、自分は留年してる学生、相手は総合商社の商社マンとか、一流企業の社員なんです。
 
『技術を身につけるってすごいことなんだ』と思いました」
 
伊賀「そして、どんどん学校にいかなくなった?」
 
田端「その頃、どの企業もホームページを作り始めていて、大量の作業を要するページ作成のニーズがたくさんありました。
 
たとえばKDDが国際電話をかける時に使う国番号の一覧ページを作るとなると、数十ページ分のサイトになります。
 
しかも当時のサイト製作は1ページ3万円とか5万円という価格で請け負うので、私も先輩の下請けなのに、月に何十万円ももらったり。もちろん超長時間労働なんですけどね。(笑)」
 
伊賀「田端さんは大学卒業年が1999年だから、まさにITバブルに向かってまっしぐらな頃ですね。そのままその世界で働こうとは思わなかったんですか?」
 
田端「当時、広告代理店の子会社のデジタル制作会社で、主に業務委託として、仕事を受けていて、そのうち、顧客企業への提案営業にも同行し始めたんです。

 
ところが、ウェブ上の広告なのにカラープリンタで印刷した紙の資料で説明してるし、サイトを作る最中にもお客さんからは「このロゴを右に何ピクセルずらしてほしい」みたいな細かいことをいわれて、なんかしょうもないなと思うこともたくさん見たんですよね」
 
伊賀「だからNTTデータに就職されたんですか? 確かにIT企業ではあるけど、今までお聞きした話とはちょっと合わないんですけど」
 


<二十歳過ぎの頃の田端氏>
 
 
田端「ひとつは“親バイアス”もあったと思いますね。
 
直前の正月に帰省したら、きちっとしたリクルートスーツを買ってくれたので、それなりに大企業を回って就職活動もやってみたんです。そしたら案外面白かった」
 
伊賀「何がおもしろかったんですか?」
 
田端「当時、私はホントに生意気で、大企業の面接に行っても、『御社のウェブサイトは全くイケてないですね』って平気で言ってたんです。でも大企業って案外そういう学生を評価してくれる」
 
伊賀「たしかにそうですよね。生意気な学生ほど評価されたりします」
 
田端「就活って大変だと言われるけど、『なんとか僕を御社に入れて下さい』みたいな態度では、そりゃあつらいでしょう。
 
企業と個人はフィフティフィフティで対等なんだから、就活=社会見学できる機会と考えて楽しめばいいんです」
 
伊賀「田端さんはどんな企業を受けていたんですか?」
 
田端「当時、40人くらいしかいなかったYahooに配属される予定でのソフトバンクとか、マイクロソフト、リクルートなどメディアやIT関連の企業を受けてました」
 
伊賀「金融や商社は考えませんでしたか?」
 
田端「留年もしてるし、ゼミも入ってない。田舎の出身だし体育会でもないし、ということで、そういうメジャーなところは違うかなと感じました。当時は、金融はおもしろいとも思えませんでしたね」
 

<田端信太郎氏>
 
 
伊賀「ヤフーとNTTデータの選択肢があって後者を選んだのがちょっと意外ですけど」
 
田端「NTTデータは、見た目のウェブサイトの裏にある決済システムや物流システム、企業の基幹システムなど、ネットが実業と結びつく場合の土台部分を作ってる会社だったので、こういう企業で何年か経験を積むのも悪くないと思ったんです」
 
 

★NTTデータを3年で退職★

伊賀「入社後はどうでしたか?」
 

田端「元電々公社だし、もっとぬるいのかと思ってたら忙しかったですね 毎日夜中まで働いていました」
 
伊賀「どんな仕事をされてたんですか?」
 
田端「メディア業界担当の営業です。NTTデータが手がけるのは、ものすごく大きなプロジェクトなので、テレビ局などと提携してジョイントベンチャーを立ち上げたり、役所に認可をもらいに行ったり、大イベントを企画したり、あちこちでプレゼンする資料を作ったり・・」
 
伊賀「それは忙しそうです」
 
田端「しかもああいう場所には、大企業独特の仕事のやり方があるんです。
 
まず結論があって、そこに持って行くための理屈を組立てるという仕事方法を覚えました。そうか、エクセルのゴールシークってこういう目的で存在してるんだ!みたいな(笑)」
 
伊賀「“大人の事業計画”ですよね。メーカーの経理の人も、売上からコストを引いて利益を計算してるんじゃなくて、利益をいくら出すか決めてから決算書作ったりしてます」
 
田端「とはいえ、基本的な仕事の進め方、やり方は当時の上司や先輩にきっちり教えてもらいました。そのことには今でもとても感謝しています」
 
伊賀「2年で辞めようと思った理由はなんですか?」
 
田端「NTTだけでなく、当時の放送業界、家電メーカー、役所などは、ある意味で、インターネットを悪の権化のように考えていたんです。
 
彼らには『あんな不健全な世界を、お茶の間でテレビを見ている一般大衆に広めてしまってはいけない』という正義感というか問題意識があり、自分達で独自規格を作り、別の世界を作ろうと考えていたんです。
 

<NHNグッズの前で>
 
 

E- コマースに対抗して、T-コマース(テレビコマース)と言ってみたり、HTMLに対抗して、BMLという言語をわざわざ作ってみたり・・
 
でも、どうみてもそれってイケてない。消費者目線で見た時に余りにダッサダサなわけです。インターネットの世界に魅せられていた私には、こんなプロジェクト、長い目でみればうまく行くとはとても思えなかった」
 
伊賀「2000年の段階で、まだインターネットとは別のデジタル世界を作り上げようとしてたなんて、ちょっとスゴイです。
 
ネットの世界は圧倒的に自由市場的だから、保守的な大企業の肌感覚に合わなかったんでしょうね
 
田端さん、会社を退職する時は引き留められたでしょう?」
 
田端「いろんな上司がいろんな言葉で、『辞めると損だぞ、きっと不幸になるぞ』って言ってくるんです。でもそう言ってる方は一回も辞めたことがありません(笑)」
 
伊賀「自分自身、外の世界を一回も見たことがないからこそ、怖いんでしょうね。田端さんのことを本当に心配されていたんだと思いますよ」