子どもの頃の激しい“情報への飢餓感”が、メディアで働く原動力に!


伊賀「NTTデータを辞めてリクルートに転職されていますが、きっかけは何ですか?」
 
田端「日経新聞の日曜版の求人広告をみて軽い気持ちで応募しました。
 
当時、企業がベンチャーキャピタルのように、イケてるスタートアップに投資をするというコーポレートベンチャーという活動が注目されていて、リクルートもそれをやろうとしてたんです。次世代事業開発室と言っていました」
 
伊賀「シスコとかが始めて、マイクロソフトやHPなどアメリカのIT大手企業がこぞってやっていましたよね。そこでの仕事はどうでしたか?」
 
田端「ものすごくおもしろかったです。まずめちゃくちゃ優秀な人が集まってました。そういえば、あの頃の先輩や仲間で、その後にマッキンゼーに入社した人も何人かいますよ」
 
伊賀「存じ上げてます。私が面接しました(笑) 田端さんも彼らと一緒に事業投資の仕事をされてたんですね。ここで学ばれたことがたくさんあったんですよね?」
 

<NHN Japanのオフィスにて>
 
 

★多くを学んだリクルート時代★

田端「まずは、公開情報でここまでわかるもんなんだということに衝撃を受けました。特定の事業に投資すべきかどうか決めるためには、様々な資料を読み込んで検討します。
 
その際、公開されている、例えばNASDAQ上場のネット銘柄のIR情報などですが、誰でも見られる資料だけでも膨大にあって、仮説を立てて、資料をきちんと見てゼロベースで考えるだけで、この先どうなるか、すごくよくわかるんです」
 
伊賀「事実と思考だけで、すごく価値ある結論に達することができるってことですよね。しかも、今までは『結論ありきの思考』だったのに、ここでは『ゼロベースで考える』経験をされた」
 
田端「その通りです。あと、当時のリクルートには、出資や提携を求める話が山のように持ち込まれていました。
 
その対応というか、スクリーニング係みたいなこともやったんです。この時に私は初めて“提案される側”、“プレゼンされる側”の立場を経験しました。これもとても大きな学びがありました」
 
伊賀「今までは、自分が資料を作って提案する側だったけど、ここではプレゼンされ、それを評価する側になったんですね。プレゼンを聞く側に立ってみて、いかがでしたか?」
 
田端「なんだこれ、酷いなと思えるようなプレゼンもたくさん見ました。プレゼンしてる方は、それなりにちゃんとした経歴の人なんですよ。なのに全く投資しようという気にさせられない。聞いていて、お腹が痛くなりそうなプレゼンもある・・・
 
ここで私は『事業計画を立てる、ビジネスプランを説明する』っていうひとつのノウハウ分野があって、それがないと、漫然とビジネス経験が長くても全然ダメなんだと気がつきました」
 

<現在の勤務先がある、渋谷ヒカリエの27階からの眺望>
 
 

伊賀「さきほどの、ゼロベースか結論ありきかという違い以外にも、NTTデータとの仕事のやり方の違いにも気がついたのでは?」
 
田端「NTTってお金がたっぷりあるから、新規事業をする時にも最初から必要な資金を全額入れようとするんです」
 
伊賀「必要に応じて途中で増資するんじゃなくて?」
 
田端「『お金が無くなったから途中で増資する』なんて、恥ずかしいことだと思ってるんですよ」
 
伊賀「うーん、それは確かに感覚が違いますね。
 
でも田端さん、リクルートに入って翌年にはITバブルの崩壊が起こってますよね?」
 
田端「残念ながらITバブルがはじけて投資事業も行き詰まり、部門が閉鎖になってしまいました」
 
 

★ゼロから立ち上げる仕事が好き★

伊賀「その後は何を?」
 
田端「本社の経営企画をやることになりました。当時、リクルートも紙媒体からネットビジネスに移行しようというかけ声があって、そういうことに力をいれていこうとしてました」
 
伊賀「でも、リクルートのネットビジネスへの取り組みって、決して積極的ではないですよね。紙ビジネスが儲かりすぎているからでしょうけど」
 
田端「だから、当時の同僚だった小林大祐さんと一緒に、社内のビジネスプランコンテストに、新しい形の紙媒体ビジネスのプランをたてて提出しました」
 
伊賀「それが準グランプリを得て、最終的にR25として結実したプロジェクトですね?」
 
田端「そうです。でも、準グランプリを得た後も事業化まで一年以上、調査や分析を続けたんです」
 
伊賀「そうなんだ。リクルートってもっと即断即決なのかと思ってました」
 
田端「リクルートの媒体は、ほぼすべて企業からの広告で成り立ってるわけですけど、当時はフリーペーパーに、いわゆるナショナルブランドと言われる一流企業が広告を出すなんて、ありえないと思われてたんです」
 

<田端信太郎氏>
 
 

伊賀「確かにフリーペーパーって、その辺の地域ミニコミ誌ですもんね。一流企業が広告を出稿してくれるフリーペーパーをどう作るかっていうのがチャレンジだったんですね」
 
田端「小林さんとふたりでいろんな雑誌を買ってきて、すべての広告ページを手でめくりながら、傾向を抽出して分析したりしました」
 
伊賀「地道な仕事ですね。でもコンセプトから始めて、雑誌を立ち上げて、あそこまで成功させて・・・すごい貴重な体験ですよね」
 
田端「確かにR25の立ち上げを経験して、いろいろ吹っ切れたと思います。
 
最初は机上の空論だったプランが、組織として意思決定されるまでの間だけでも、ものすごくいろんな人を動かさないといけない。
 
でも、どこの企業にもサラリーマン的なマインドの人はいるわけで、みんな『あっちがリスクとるなら、うちもやります』とかいって、自分からリスクテイクして、最初の一歩を踏み出そうとはしない。
 
そういう組織や人を動かすには、時に“はったり”をかますことも必要なんだと学びました」
 
伊賀「サラリーマンとしての則とかルールを破って、勝手に走り出すような人がいないと、新しいことは始められないってことですね」
 
田端「しかも、そうやってリスクをとっても、本当に巧くいくかどうかなんて誰にもわからいないんです。
 
そういう状況で働いていると、まあ、万が一失敗しても死ぬワケじゃないしな・・・と、腹をくくることができました。
 

そして、『つまんない成功をするより、意味のある大失敗の方がいいな』とも思えたんです」
 
伊賀「そんな覚悟で取り組んだR25は、結果として大成功しました。でも、ここでまた田端さんはリクルートを去る決断をするんですよね」
 
田端「R25が成功して、オペレーションをより洗練させ、質を高めていくっていうステージに入ると、自分のやりたいこととは違うという感覚がでてきたんです」
 
伊賀「ゼロからイチを作る仕事は好きだけど、1を2、2を5に持っていく仕事は好きじゃない?」
 
田端「いわゆるオペレーション・エクセレンシーを追求し、実現していく人達のことは、とても尊敬しています。でも自分のやりたいことかと言われたら、違うってことなんです」
 
伊賀「自分がやりたい仕事、楽しい仕事が、このあたりで明確になったんですね」
 
 

★激動のライブドア時代★

伊賀「ライブドアへの転職のきっかけはなんですか?」
 
田端「ライブドアに転職していた先輩に声をかけられ、堀江さんと会ったりしたのが、きっかけですね。
 
リクルートは既存のビジネスがものすごく儲かっているから、R25は成功したけれど、新規事業を始める際のハードルがかなり高いんです。
 
しょうもない案だと、そんなことするより既存事業に人や金をつぎこんで強化したほうがいいという話になる。
 
いわば、都会の一等地で再開発の仕事をしてるようなもんです。こんな収益の出るプロジェクトがあるのに、好きこのんでへんぴな場所に旗を立てに行く必要はないと」
 
伊賀「リクルートって超高収益の大企業ですもんね」
 
田端「でも当時のライブドアは、リクルートとは対極で、収益性度外視で、未開の地をどんどん開拓しているような企業でした。なんでもありで、どんどん拡大してる。新しいことをやっている。直感的にこれはおもしろそうだと感じました」
 

<オフィスにて>
 
 

伊賀「ポジションは?」
 
田端「ライブドアニュース事業のヘッドです。ネットで本格的にニュース報道をやろうということでした」
 
伊賀「ネットのニュースとして、新聞に取って代わろうとしてたんですよね。
 
ただ田端さんの転職は2005年の春だから、ライブドアの絶頂期というか、イケイケドンドンの最終フェーズですよね」
 
田端「転職は、堀江さんが連日テレビで気勢を上げていたニッポン放送騒動の直後の時期です。
 
私がライブドアに入社したのが2005年の4月、その秋に選挙があって、武部幹事長が堀江さんのことを「我が弟」だと呼び、その10月にはライブドアが経団連に加盟しました。そして・・」
 
伊賀「ライブドアに強制操作が入ったのが、翌年の1月。入社から一年たってないんですね。では次回は、ライブドア事件が起こった後のことについてお聞きしていきます」