”公の仕事”を目指し、敢えて選んだ“別の道”


伊賀「子供の頃から大学時代まで、ずっと官僚志望だったということですが、政治にも関心がありましたか?」
 

出島「NPOの斡旋で、国会議員事務所でのインターンに参加しました。政権をとる前の民主党の議員さんの事務所で働いていたんですが、レベルの高い政策議論が真面目に行われていて驚きました」
 

<議員インターンでお世話になった元衆議院議員大谷信盛氏と>
(写真は2009年撮影)
 
 

伊賀「じゃあ、政治家も考えた?」
 

出島「ないですね。当時、東大法学部的には、『日本を動かしてるのは官僚であって政治家じゃない』みたいな考え方があったんで・・(笑)」
 

伊賀「ホントに官僚一筋だったんですね。試験は受けたんですか?」
 

出島「それが・・勉強は始めたんですが、その直後にマッキンゼーから内定がでてしまったので、結局、受けてないんです」
 

伊賀「ずいぶん突然の方向転換ですね。官僚志望だったのになぜマッキンゼーを受けたんですか? 力試し?」
 

出島「マッキンゼーのパンフレットに、元通産官僚だった人の体験談が載っていて、コンサルティングファームでもパブリックな案件に関わることができる、みたいな話だったので・・・」
 

伊賀「それで説明会に行ってみたら・・・」
 

出島「説明会での話も面白かったので、呼ばれるままに面接を受けていたら、内定がでて・・」
 

伊賀「2003年の就職活動だと、東大法学部ではまだ弁護士と官僚志望者ばかりという時代ですよね?」
 

出島「そうですね。外資系企業の人気が高まるのはその数年後からです。あの頃だと、司法試験か官僚を目指すのが既定路線といった時代でした」
 
 

★突然の進路変更★

伊賀「出島さんだって官僚第一志望だったのに、なぜマッキンゼーを選んだんですか?」
 

<当日の出島さん>

 
 

出島「2002年ごろから道路公団の民営化の議論が始まるなど、官と民の役割が議論されることが増え、時代の変わり目という雰囲気があったんです」
 

伊賀「2001年に小泉さんが首相になり、郵政問題も含めて『民間でできることは民間で』というのが合言葉になった時期ですね」
 

出島「マッキンゼーからも川本裕子さんが道路公団の議論に参加するなど、民間出身者がパブリックな組織の在り方について意見を言い始めた時期でした。
 

私自身、最終的な目的としてパブリックな仕事に関わりたいという意思は変わりませんでした。でも、そこに至るまでの方法論には、もっといろいろあるんじゃないかと感じ始めたんです。
 

それに、当時から学生なりに、今の日本のやり方のままではまずいと思うところもありました。
 

民間企業や外資系企業にいる人の話を聞いているうちに、その疑問が、「やっぱりそうなんだ、これからの時代は、やり方を変えないといけないんだ」という確信に変わっていったんです」
 

伊賀「ご自身のキャリア選択についてはよくわかりました。それにしても180度違う職業選択で、ご両親も驚かれたのでは?」
 

出島「両親もびっくりしてたし、おばあちゃんは泣いてました(笑)」
 

伊賀「それは申し訳ない(笑) 入社した後、やっぱり官僚になればよかったと思ったことはありますか?」
 

出島「それはないです。ただ、働き始めた後はいろいろなカルチャーショックがありました」
 

伊賀「たとえば?」

 

出島「一番大きな学びは、誰かが役割を与えてくれるのを黙って待っていては何も始まらないということです。自分からリーダーシップをとらなくちゃいけない」
 

伊賀「日本って、優秀な人なら黙っていても、周りがアイツに任せようという雰囲気を作ってくれる社会ですよね」
 

出島「私自身、そういうのに慣れていたし、それ以外の環境を知りませんでした。
 

大学時代にも、議員インターンのアレンジをするNPOではリーダーをやっていたんです。でもそれも『俺がコレをやりたい!』と言わなくても、みんなから押し上げられて、なんとなくそういう立場になっていました。
 

だからそれでいいと思っていたんです。でも、マッキンゼーに入ってそうじゃないとわかりました。自分で『自分はこういうことがやりたい!』って主張しないと何も始まらない。
 

今までみたいに黙って待ってると、本当に何にもできない奴だと思われてしまいます」
 

伊賀「それがカルチャーショックだったわけですね」
 

出島「他にも、思考方法について、受験マインドを捨てろと厳しく言われました」
 

伊賀「マネージャーに?」
 

出島「『イシューから始めよ』の著者である安宅和人さんですね。自分のアタマで考えるというのはどういうことか、とことん叩き込まれました」
 

<マッキンゼー時代の出島さん(右端)>
(中央がマネージャーの安宅さん、左端は同僚の柴沼さん)
 
 

伊賀「労働時間も長かった?」
 

出島「つらかったのは労働時間の長さではありません。最初の頃は特にですが、スキル的に絶対到達できないレベルを目指せと言われているようで、それが大変でしたね。
 

あの時、叩き込んでもらえたモノの考え方、仕事の進め方は今でも自分のベースになっていると思います」