波瀾万丈のグローバル転職キャリア形成記


伊賀「歓迎会のノリで『ドクターコースまで行く!』と宣言してからは、どうなったんですか?」
 
白鳥「思いがけない展開になりました。なにしろそんなことを言う奴は他にいませんから、教授も『なんだ、こいつ? 誰なんだ?』ってことになります。
 
それで注目を浴びて名前を覚えられました。研究室の先生は博士課程に残りたい学生を歓迎していますから。その後いきなり英才教育が始まったんです」
 
伊賀「英才教育?」
 
白鳥「 4年生で研究室に入っても、学士や修士で卒業する人って 1年、もしくは 3年しか時間がありません。でもドクターコースまで行くと確定してれば、6年間あるんです。すると手がけられる実験の大きさが変ってきます」
 
伊賀「そうか、時間は掛かるけれど、意義のある実験をやらせてもらえるんですね?」
 
白鳥「そうです。6年計画で研究計画が立てられるし、学会発表とか、いろいろやらせて教育してやろうということにもなります。私もすぐにメインの研究チームに入れてもらえました」
 

<大学院時代 US Santa Barbaraを訪問>
 
 
伊賀「飲み会の一言で研究生活が大きく変わるなんてびっくりです」
 
白鳥「自分でも予想していない展開でした。でも実験も研究もおもしろかったです」
 
伊賀「中高校生の頃は、大企業に入って出世して・・と考えていたんですよね? この頃は研究者になろうと思っていましたか?」
 
白鳥「いろいろ考えました。博士課程に残るといろんな現実が見えてきます。まず企業は博士号なんて全く評価していない。博士号をとってメーカーに入っても、給料が高いわけじゃない。
 

博士号をとるために 3年かけて、その間にかかるコストに、働いていれば貰える給与を合計すると、金銭的には全く割に合わないと思いました」
 
伊賀「実際に、企業の人からそう言われたんですか?」
 
白鳥「博士号保有者が多い技術系メーカーの中央研究所を訪問したことがあるんです。その時に、『博士号って意味がありますか?』って聞いたら、『ないよ。足の裏についた米粒みたいなもんだ』と言われてものすごいショックでした」
 
伊賀「それはヒドい・・」
 
白鳥「博士号のためにこんなに必死で頑張っているのに、そんなことを言われて本当にショックで、『こんな会社絶対入るもんか』って思いました(笑) でもそれが現実だったんです」
 
伊賀「企業でそんなに評価してもらえないなら、やっぱり民間就職より研究者の方がいいとは思わなかったんですか?」
 
白鳥「それがそうでもなかったんです。研究室に入ると、そちらでもいろいろ感じるところがありました。たとえば当時でいうと、博士課程に残った人はほぼ全員、3年間で博士号がとれるんです」
 
伊賀「研究成果の善し悪しにかかわらず、みんな同じ期間で博士号がとれるってことですよね? なぜそんなことが起こるんですか?」
 
白鳥「結果がイマイチでも、頑張っていれば教授や先輩が助けてくれるんです」
 
伊賀「成果がでなくても努力さえしていればいいってことですね。その現状にがっかりしたのでしょうか?」
 
白鳥「研究自体は楽しかったのですが、結果に対する厳しさというか、チャレンジはあまりなかったです。
 
周りを見ても、皆おおむね 3年で博士号を取っていく。途中でドロップアウトする人もいない。そういうのを見ていると、“博士号を取得することの価値”とは何かと考えてしまいます」
 
伊賀「アメリカの研究室だとそんなことありえないですよね。実力のない人は放り出されるはず」
 
白鳥「アメリカは先生が彼らに給与を払っていますから、できない人は追い出すのでしょう」
 
伊賀「だからアメリカで博士号というとすごく尊敬されるのに、日本では博士をとると就職できないみたいなことが起こるのかも」
 
白鳥「もちろん、全員がそうだということではありません。でも一部にはそういう馴れ合いも存在してる。

 

そうなると、『そこでずっと働きたいか?』と言われても、正直あまり魅力的に思えませんでした。もっと成果に対して厳しく評価され、競争原理が働く場所で自分を磨きたいと思ったんです」
 


<サンフランシスコでの学会後の懇親会にて>

 
 

★アメリカ企業の研究開発部門に内定!★

 

伊賀「それで就職しようと思ったんですね?」
 
白鳥「最初は、アメリカ企業の研究開発部門に就職したいと考えました。当時、国際学会で発表もしていて、すごく刺激を受けていましたから」
 
伊賀「それはすごいですね。英語は得意だったんですか?」
 
白鳥「全然できません(笑) でも指導教授はどんどん国際学会に行かせてくれたから、年に 2回くらい欧米で発表していました。
 
海外の学生はとても優秀で、同じ分野を研究している人と話すとすごく刺激になります。日本で博士号を取ること自体は難しくないとわかったけど、学位取得後に海外で働けたらそれはスゴイことだし、魅力的だと思えました」
 
伊賀「実際に面接を受けたりしましたか?」
 
白鳥「テキサス・インスツルメンツという半導体メーカーのエンジニアと接点ができて、受けてみたらと勧められ、何人かの外人と面接しました。
 
その結果、リソグラフィーというレーザーを使った露光プロセス部門のヘッドと面接をして、『うちにおいで』と言ってもらいました」
 

伊賀「新卒で海外の研究所勤務なんてすごいですね。でも実際には就職してませんよね?」
 
白鳥「実は就職が決った直後に、テキサス・インスツルメンツが半導体部門をマイクロンという企業に売却すると発表があって・・・。私を面接した部門の人もみんないなくなってしまいました」
 
伊賀「えーーー! 半導体部門を売却? ちょっと待って下さい。テキサス・インスツルメンツって半導体メーカーですよね? それが半導体部門を売ったんですか?」
 
白鳥「正確には、DRAM部門を売却すると決めたんです。DRAM部門は当時の同社売上の約半分を占めている主力事業でした」
 
伊賀「売上の半分を稼いでいる事業を売却? それって、1998年頃ですよね。テキサス・インスツルメンツって、既にその頃にDRAM部門を手放してるんだ! 経営判断としてすごい早いですね?」
 
白鳥「でしょ。DRAMに関しては、日本では 2012年になって、国が支援したエルピーダメモリが潰れて大騒ぎになっていますが、日米の経営判断には驚くべき格差があります」
 
伊賀「IBMが PC部門を中国のレノボに売却したのも 2004年と早かったですよね。日本のメーカーが PC部門を売却する判断ができるには、あと 6-7年はかかるかもしれませんね・・・」

 
 

★大企業の研究部門に入社した半年後に・・★

 
伊賀「すみません。話を戻しましょう。それで、就職はどうなったんですか?」
 
白鳥「ヤバイ!って感じです。就職活動時期も終わってるし」
 
伊賀「どうしたんですか?」
 
白鳥「研究室の先輩が NECにいたので連絡して、『ヤバイです。行くとこないんです』って相談したら・・・」
 
伊賀「雇って貰えた!?」
 
白鳥「はい。すぐに入れと。レーザー関連の研究チームに入れて貰えました」
 
伊賀「さすがです」
 
白鳥「入れてくれた先輩、上司には感謝、感謝です。でも博士号をもっている人の就職なんて実際そんな感じなんです。公募というより、研究室つながり、人つながり、という場合が多いと思います」

 

<米国ライス大学の研究室にて>

 
 
伊賀「そうやって念願の大企業社員になれたわけですが・・・」
 
白鳥「 1999年の 4月に入社して、その年の夏には私の所属していたグループの閉鎖が決りました」
 
伊賀「日本の企業って、あんまりグループを廃止したりしないイメージがありますが・・」
 
白鳥「 NECは前年に大きなスキャンダルがあって、会社全体が揺れていました。それで、いろいろ絞り込む必要があったんだと思います」
 
伊賀「でも日本企業だから、クビになったわけじゃないですよね? 他の部署や他の研究グループに異動するだけですよね?」
 
白鳥「はい。でもせっかくレーザー工学で博士号を取得したのに、その専門性を捨ててまで残りたい会社かというと、そこまでの魅力もなかったんです。
 
たとえば入社研修の一環で、役員の人が新入社員の前で話をしに来ます。私は一度、話の後に手をあげて、『質問があります!』って言ったんです」
 
伊賀「そしたら?」
 
白鳥「司会の人が『質問は受け付けていません』って言うんですよ。『なんだそれ?』って思いました。一方的に話して質問も受けないなんて意味がわからない。
 
そういうことも含め、海外の企業や研究所とのギャップが大きく、『ああ、イマイチだな』と感じていました」
 
伊賀「それでベンチャー企業の立ち上げに参加することにしたんですね。次は、そこからのお話しをお聞きしていきます」