“高校生社長”の失敗から実践する地域再生のプロへ

 

木下「会社の建て直しのため、まずは学校が休みの時期に、一ヶ月ずっと泊まり込みで全国の商店街を回って、なにか成功の秘訣がないか聞いてまわりました」
 

伊賀「行動力ありますね。なにかいい案が見つかりましたか?」
 

木下「成功事例なんて全くありませんでした。
 

全国の商店街はどこも疲弊していて、儲け話には乗りたいけれど、営業力や商品力があるわけじゃない。
 

そんなものがあるなら元々危機に陥ったりしていない」
 

<全国の商店外を丁稚奉公をしながら回っていた@熊本>
 
 

伊賀「それはそうですね。でもたしかこの会社、4年目には黒字になったんですよね?」
 
木下「それは僕が 3年目から立ち上げた『商店街の自主財源創出』に関する調査研究事業での利益なんです」
 

伊賀「調査事業?」
 

木下「実は、全国の商店街の状況を調べたり、自分で取り組んだ事業の内容をまとめていると、その情報が民間にも役所にも売れるってことに気が付いて」
 

伊賀「カニは売れなくても、情報が売れるんだ!」
 

木下「そうです。で、自分なりにはこれで行けそうだと目処もつきはじめていたんですが・・・4年目の株主総会では、出資者の怒りが爆発しました」
 

伊賀「黒字になったのに?」
 

木下「なんでそんな事業をやってるんだ? ここはお前のやりたいことをやる会社じゃない。俺たちの商店街が儲けられないなら補助金をもらってこい、みたいなことを言われて。
 

私が調査してきたような、実績をあげている事業をやれば儲かると説明しても、そういう“面倒なこと”はうちの商店街には無理だと言われ・・」
 

伊賀「黒字にしてくれた社長に対して、ずいぶん厳しいですね。怒声の飛び交うなかで、大学生がひとりで大人に応戦するのは大変でしょ?」
 

木下「ストレスで円形脱毛症になりました。世間からは学生社長として注目されてたけれど、内実は悲惨だった。
 

私自身あまりに未熟で、出資者を説得することもできませんでした。
 

もちろん理解してくださる株主の方もいましたが、やはり多くの方には理解されず、孤立感の悲しさが怒りに変わり・・・」
 

伊賀「それで喧嘩になって?」
 

木下「売り言葉に買い言葉
 

最後は『だったら辞めます!あとは自分たちで好きにやってください』と言って社長から降りました。
 

伊賀「いつ?」
 

木下「大学四年の夏のことです」
 
 

★アメリカの先進性にびっくり★

 
伊賀「その頃、アメリカに地域再生の事例を調査に行かれてますよね?」
 
木下「国内に目立った事例がないため、事業のアイデアをふくらませるために、海外の事例について学びたいと思ったんです」
 

伊賀「旅費は自費で?」
 


<今でも学生時代と変わらない!>
 

 
木下「はい、ただし会社の資本金取り崩して海外にいくなんて株主には承認されません。それで目を付けたのが懸賞論文でした。
 

大学三年生の時、『日本型まちづくりの終焉』という論文を仲間と書いて応募したら、藤田田未来研究所主催の懸賞論文で入賞したんです」
 
伊賀「藤田さんって日本マクドナルドの創業者ですね。それでアメリカ視察の資金を得たんだ」
 
木下「たしか賞金を 30万ほど頂けて、それを元手に訪米しました」

 
伊賀「渡米資金を得るために懸賞論文に応募するという発想がすばらしいですね。
 

普通なら学生はアルバイトをするでしょ。時給 1000円ほどで時間を売ってお金を作ろうとする。
 

でも木下さんはバイトではなく、懸賞論文に応募しようと考えた。その発想が既に一般的ではない気がします」
 
木下「商店街の仕事を通して、情報や知識が売れるという感覚があったからだと思いますね。
 

当時、一緒に仕事をしていた仲間と渡米費用について考えている時に見つけて盛り上がりました。『この手がある』と。
 

しかもバイトだと時間は食うけど、何も残らない。調査なら情報も得られて勉強になり、かつお金にもなる。一石二鳥です」

 
 
伊賀「アメリカは一人で行ったわけではないですよね?」
 

木下「今、病児保育事業をやっているフローレンスの駒崎さんも当時の商店街ネットワークのメンバーで、彼を含め 3名で訪米しました。

駒崎さんは高校の時に留学していて英語もできたので」
 


<米国視察旅行にて 右が木下さん、左は駒崎さん>
 
 

伊賀「どこの街に?」

 
木下「訪ねたのはニューヨーク、ニュージャージー、ボストンと東海岸の街で、NPOや特別区管理をしている会社の担当者などから話を聞きました」
 

伊賀「どうでしたか?」
 

木下「日本とのレベルの差に驚きました。
 

スタッフもみんな専門家だし、予算も大きい。10億円の予算をもち、30人くらいスタッフを抱えて、しっかりした経済分析に基づいて街作りに携わっている」
 

伊賀「アメリカってそういう組織に、一流企業に勤めるプロが顧問についていたりしますよね」
 

木下「そうなんです。金融機関に勤務していた人が資金調達や管理会計を、警備会社を起業して成功させた人が地域の治安改善を担当するなど、まさにプロの集団でした」
 

伊賀「日本とは全く違う?」
 

木下「日本では商店街のオヤジが集まって酒を飲み、皆でヤバイヤバイとくだを巻き、税金を使って一発モノのイベントをやってるだけなのに、

 

アメリカでは市や警察、地域の学校と連携して、大規模なまちの再生プロジェクトを進めてる。雲泥の差で愕然としました」
 


<米国での視察旅行にて>
 

 

木下「また、街作りは官ではなく民間主導のビジネスだということ、そして、その中心は不動産オーナーだということも学びました」
 

伊賀「民間主導でできるということは、街作りには経済的な効果がある、ということですよね」
 

木下「その通りです。街の再生が成功すると、多くの店が出店したいと思うし、多くの人が近くに住みたいと思う。するとその地域の地価が上がる。
 

だからアメリカでは、不動産オーナーが積極的に街作りに投資し、有能なマネジャーを雇うんです」

 

伊賀「日本では地域開発の大半が官主導です。一番大事なのが新幹線や地下鉄の駅の誘致、もしくは高速道路を敷くことだったりするし」
 

木下「高度成長期まではそれでうまくいったんです。
 
でも今やたとえ駅前でも、人がいなくなり、空き店舗だらけになり、街路灯もついていないような状況の街がたくさんあります。そしてそういう所では、地価もどんどん下がってしまってる」
 

伊賀「確かに。今後は日本でも同じ方向に向かっていくのかもしれませんね」 
 


<早稲田大学の頃 (左から 4人目)>
 
 

伊賀「ところで、木下さんて高校3年生から 4年間、社長をやっていて、高校や大学の授業には出てたんですか?」
 

木下「高校は無遅刻無欠席です。ただ、大学では必須科目以外は全くでてないですね。
 

大学と商店街の事務所は徒歩 3分の距離にあったので、最低限の授業だけでて、あとは仕事に邁進してました。
 

早稲田の政経って当時は、ほとんど必修がなくて、楽だったんです。必修とって、あとは楽勝科目と興味ある科目をちょいちょいとって。
 

けど、ちゃんと 4年で卒業しましたよ。
 

親は両親ともに大学なんて出てないどころか父親は中卒ですから、『大学 4年までの学費は出すけど、それ以降は自分でどうにかしろ』と言われていたので。
 

私の親が教育熱心でもなく、大学 4年で自立しろと期限が設けられていたのは、今となって思えばよかったです」
 

伊賀「稼ぐ街を作ろうと言っているのに、自分が親から補助金を貰い続けるわけにはいきませんよね(笑)」