IT、経営、大学、政治・・・縁がつなぐキャリア形成


伊賀「こんにちは。今日はお忙しいところありがとうございます。江端さんはビジネスの世界から政治の世界に入られたわけですが、大学は教育学部ですよね。昔は先生になろうと思っていたんですか?」

 


<聞き手 伊賀泰代>

 

江端「いえ、それはありません。教育熱心だった母に小さい頃からずっと『女の子も手に職を付け、一生働くべき』と言われて育ってきたので、最初は薬剤師になろうと考えていたんです。薬剤師なら、女性がキャリアを積むのに適していると思ったので」

 

<取材当日の江端さん>

 
 

伊賀「お母さんも薬剤師だったんですか?」
 

江端「母は専業主婦だったのですが、一人娘である私に期待をかけていて、『東京大学に入って欲しい、手に職を付けてキャリアを積んで欲しい』と、ずっと言っていました。私も小さい頃は素直にその話を聞いて、まじめに勉強してたんです」

 

伊賀「どこかで反抗期がきたんですね(笑)?」

 

江端「反抗期というほどではないですが、都立青山高校というリベラルな高校に進んだため、その頃からは反発心もでてきて、あまりまじめに勉強してなかったですね」

 

伊賀「それで薬学部に合格しなかった?」

 

江端「国立大学が一期校、二期校に分れていた最後の年に受験をしたのですが、一期校の薬学部に落ちて、二期校には関東周辺に薬学部のある大学がなくて、それで教育学部の化学科に進学したんです」

 

伊賀「お母さんはショックだったのでは?」

 

江端「ショックだったと思いますが仕方ないです。私も自我に目覚めていますし、“親のいいなりに生きる自分”から脱皮したいと考えていました。親離れするいい機会だったと思います」

 

 

<幼い頃の江端さんとご両親>
 
 

伊賀「教育学部ということは、教職課程もとるんですか?」

 

江端「それは本当に大変でした。横浜国大の理系ってきちんと研究をして卒論を書くことも求められるし、一方で教育学部には教育実習もあります。私は体育会の軟式庭球部にも入っていたので、めいっぱい忙しく活動した大学時代でした」

 

伊賀「教育実習にも行かれたんですね!」

 

江端「小学校と中学校に行きました。小学校なんて一日6時間の授業を担当するんですけど、毎日翌日の授業の準備だけで真夜中までかかるんです。先生というのは本当に大変な仕事だと思いました」

 

伊賀「たしかに小学校の先生って、体育や音楽以外は全教科ひとりで教えてますよね。職業として、先生になる気はなかったんですか?」

 

江端「先生という仕事自体は楽しかったです。子供も好きですし。ただ、学校というのは小さな組織で、毎日会う大人の数も限られているんです。活発な性格だったので、少ない人数の人と密な関係を作り上げるより、たくさんの人に会えるところがいいなと思いました」

 
 

★研究室に“マイコン”がやってきた!★

 

伊賀「それで大企業に就職したんですね。技術職、いわゆるシステムエンジニアとしての採用ということですが、コンピューターが好きだったんですか?」

 

江端「当時のコンピューターというと大型のメインフレームのことを指していて、授業での物理のシミュレーションにはそういうのを使っていました。ところが私が大学の研究室にいる間に、当時“マイコン”と呼ばれていた小型パソコンを、研究室の先生が初めて買われたんです」

 

伊賀「“マイコン”時代なんですね! しかも小型と言ってもかなり大型の代物ですよね?」

 

江端「サイズも小さくないし、プログラムもBASICでせいぜい10行くらい打ち込んでEnterを押し、20分放っておくとガガガッとかいいながら計算結果が出てくる、みたいな。今では考えられないような代物です」

 

伊賀「それでもコンピューターを初めて見たらびっくりしますよね?」

 

江端「学生はみんな夢中になって、おもしろがって使っていましたね。そういうのを通して『これからはコンピューターの時代だ』と感じました」

 

 


<インタビューを行なった永田町の議員会館>
 
 

伊賀「それがコンピューター関係の企業に就職することにつながったんですね?」

 

江端「当時の理系の学生は、会社説明会に行って、面接を受けて、というような一般的な就職活動はしていなくて、研究室の先生を通じて『この会社はどうだ?』みたいな感じで、勧められて就職先が決っていくんです」

 

伊賀「いわゆる教授推薦というやつですね。女性でもそういうのがあったんですね?」

 

江端「当時の富士通には女性の人事部長の方がいらして、『技術職で女性を採用したい』と、うちの大学にも来られていました。それで先生を通じて私にも声がかかったんです」

 

伊賀「当時は、IT企業が女性を積極的に雇い始めていた時期ですか?」

 

江端「恐る恐る女性の採用を始めてから3年目くらいでしょうか。当時、富士通は新卒で3000人くらい雇っていて、その半分の約1500人が大卒、その中で女性は220人くらいだったと記憶しています」

 

伊賀「220人の女性を採用するって、当時としてはかなり多いですね」

 

江端「その前年にも180名ほどの女性が入っていましたが、その更に前の年は20人程度だったと聞いています。大卒女子採用を本格化してからは2年目の採用という感じですね」

 

 

★金融システム開発部門を希望して人事部を驚かせる★

 

伊賀「女性が技術職で入社すると、どんな仕事をするんですか?」

 

江端「富士通の場合、当時は『オアシス』というブランドのワープロがすごく売れていた時期で、多くの女性はオアシス関連の仕事を希望していたと思います。開発もありますが、営業やマーケティングなども含めて」

 

伊賀「オアシスって懐かしいですね。私も使っていました。マイコンは男性のものという感じですけど、ワープロは書類作成の仕事をする女性にもよく使われていましたね。江端さんもオアシス部門を希望されたんですか?」

 

江端「それが違うんです。私は銀行システムの開発をやりたいと希望したんです」

 

伊賀「銀行のシステムって、巨大なシステムですよね。それって夜中も職場に泊まり込んでひたすらにコードを書いている、という仕事じゃないんですか(笑)?」

 

江端「そこまではいきませんが、金融系など巨大なシステム開発の部門は、当時は完全に男性の部門でした。だから私の配属希望を聞いた人事部も驚いてしまったみたいです」

 

<富士通時代の江端さん>
 
 
伊賀「そうでしょうね。そもそもなぜ、金融のシステム開発を希望したんですか?」
 

江端「当時はインターネットもないですし、日常生活の中で目に触れる、一番よくできたシステムが銀行のATMだったんです。まさに生活に役に立っているコンピューターだと思えて、興味をもちました」

 

伊賀「あの頃、ワープロのオアシスはテレビコマーシャルも多かったし、消費者へのアピールもすごく強かった。学生って、コマーシャルの多い企業に就職したがるし、有名な商品の開発に携わりたいと考えがちです。そんな中、オアシス部門ではなく金融システムを希望されるというのは、ちょっと視点が違いますね」

 

江端「理系で、自分達でマイコンを触ったりしていたから、文系の人よりはシステムというもののとらえ方が専門的だったのかもしれませんね」

 

伊賀「それで、すんなり金融システム部門に配属されたんですか?」

 

江端「私の希望を聞いて驚いた人事部が、金融システム開発部門のトップといろいろ検討してくれて、最終的には、『女ひとりでそんなところに配属するのは無理だけれど、ふたりなら』ということになり、もうひとりの女性同期とふたりで配属されました」

 

伊賀「希望通りの配属になったわけですね?」

 

江端「それがそうでもないんですよ。私が配属されたのは、金融システム部門内のスタッフ部門だったんです」

 

伊賀「プログラミングをする部門じゃなかったんだ! そこでの仕事はなんですか?」

 

江端「コピー取りです(笑)」

 

伊賀「コピー取りですって? では富士通での仕事内容については、次回、詳しくお聞きしていきましょう。」