IT、経営、大学、政治・・・縁がつなぐキャリア形成


伊賀「富士通の社長に『休職して留学させてほしい。給料も少しは払って欲しい』と直訴した結果は、どうなったんですか?」

 

江端「休職だけ認められました。フルブライトの奨学金をとり、MITにも合格してるということで配慮してもらえたと思います」

 

伊賀「でも、留学直後に退職されてるんですよね?」

 

江端「社会保険の自己負担分が重すぎて絶えられませんでした(笑) あとは、ビジネススクールで会う人から刺激を受けて、『本当に私は会社に戻るだろうか』と考えてしまったので、けじめをつけたということです。
 
当時の富士通は、退職届は紙に墨で書けとか言っていて、アメリカに滞在しながら会社を辞めるのは大変でした」

 

伊賀「コンピューターの会社なのに、すごいこと言いますね。それで会社を辞めて、ビジネススクール卒業後は、どんな仕事に就こうと考えたんですか?」

 

江端「ITコンサルタントですね。技術を活かせるし、ビジネスも学んだので、少し上流工程の仕事をしたいと思っていました」

 

伊賀「でも実際にはマッキンゼーに入られたんですよね」

 

江端「ボストンのホテルで行なわれたマッキンゼーの説明会に行ったら、パートナーから『マッキンゼーもITに強い人を採用したいと思っている』と言われて、それなら可能性があるのかなと思いました」

 

伊賀「それってMITを受けた時と同じですね? 先方から『受けてみたら?』と言われるパターン。江端さんて自分の実力を低く見ているというか、謙虚なのでしょうか?」

 

江端「謙虚と言うより、自分では思いつかない可能性について、周りの人から教えて貰える機会を大事にしてきたってことだと思います。
 

自分が考えてもいないような可能性について示唆された時に、行動をとらなかったり、『どうせだめでしょ』と思ってしまったら、新しい道は拓けませんよね。私は周りの方が言ってくださった道について、『それもあり得るのかも?』と素直に取り入れてきたんです」

 


<マッキンゼー時代の合宿勉強会>
 
 

伊賀「さりげないアドバイスを聞き逃さないことで、可能性が開けていったのですね。マッキンゼーの面接もアメリカで受けたのですか?」

 

江端「夏休みに日本のシティバンクでサマーインターンをするため帰国していて、その時に受けました。『もう東京に戻ってくるお金も時間もないから、今、採用か不採用か早く決めて下さい!』って言った記憶があります」

 

伊賀「さっき“謙虚”と言ったのは取り消します(笑) 社長直訴もそうだし、言うべきことは、常にはっきり言う人だということはよくわかりました(笑)
 

マッキンゼーライフは順調に始まったのでしょうか?」

 

江端「それが・・・私がアメリカにいる間に倒れた父が、入社直後に亡くなって。あと、留学直後に結婚していたのですが、その翌年に出産もあって、すごく大変でした」

 

伊賀「今はマッキンゼーも産休や育休を取る人も多いですけど、江端さん、もしかして第一号くらいですか?」

 

江端「そうかもしれません。だから総務の担当者も制度がよくわかっていなくて、『海外のオフィスがどうなってるか、自分で調べてください』と言うんですよね。それであちこちに聞き回って・・・」

 

伊賀「海外だと育休とか産休とか充実していそうです」

 

江端「でも商慣行も違うし、日本で海外と同じ働き方ができるわけでもありません。日本ではベビーシッターも雇いにくいし、私の場合、夫も商社マンで出張も多いので、最終的には私の母と一緒に住める二世帯住宅を建て、育児については母に多くを頼ることになりました」

 

伊賀「仕事を辞めようとは思わなかったんですね。仕事はおもしろかったですか?」

 

江端「最初は通信などIT関係を中心に担当していましたが、途中からヘルスケアグループの立ち上げに関わり、製薬企業の仕事をしていました。当時は大企業も元気で、前向きな事業戦略や商品戦略をどんどん立てている、いい時代だったと思います」

 
 

★米バイオベンチャー アムジェンで経営職へ★

 

伊賀「マネージャーまで務められて、その後、アムジェンに転職されていますが、これはどういうきっかけですか?」

 

江端「マッキンゼーの社内に、個人に来た郵便物が入れてあるポストがあるんですけど、ポストはオープンな形式なので、他の人に来ている郵便物も見えているんです。
 
ある日、私のところにヘッドハンターからの手紙が来たんですが、ふとみると隣の同期のコンサルタントのポストにも同じ封筒が入っていました。それで彼に、『あれ、会いに行く?』って聞いてみたんです」

 

伊賀「彼はなんと答えたんですか?」

 

江端「彼が言うには、『ヘッドハンターが手元に持っている履歴書は古かったり不完全だったりするから、転職する気がなくても、誘われたら会いに行って、情報を訂正してきたほうがいい』と。私はよくわからなかったのですが、『そんなもんなのか』と思って、会ってみたんです」

 


<アムジェン幹部と共に>
 
 

伊賀「そうしたらアムジェンに誘われた?」

 

江端「誘われたというほどでもありません。自分のキャリアやこれからやりたいことを話して、最後にアムジェンの資料をもらいました。興味があったら、という感じです」

 

伊賀「アムジェンは、バイオベンチャーから短期間で世界有数の製薬企業になった“きら星”のような企業ですよね。どういうところに惹かれたんですか?」

 

江端「当時、マッキンゼーでは製薬企業のプロジェクトを担当していたんですけど、ご存じのように医療業界は規制の多い業界です。古くからの慣習も残っているし、新しいことをゼロから組立てるのは大変です。
 

そういう中、バイオベンチャーということで、今までとは全く異なる新しいビジネスモデルを作れるかもしれないと考えたのが、転職の一番の理由ですね」

 

伊賀「アムジェン日本法人の仕事は、アメリカで開発された商品のマーケティングですか?」

 

江端「それまでのアムジェンは、日本では提携企業にライセンスを売る形のビジネスをしていたんですけれど、その頃から日本法人を立ち上げ、開発投資も行なって、営業や経営企画のような機能も付加していこうとしていました。私は経営企画の担当部長として転職し、最終的には取締役になりました」

 

伊賀「担当は、事業企画ですか?」

 

江端「他社との提携交渉を含めてそれがメインです。あとは管理部門全般ですね。財務や人事も担当しました。日本法人の社長の右腕というポジションです」

 
 

★介護と育児のためのキャリア中断★

 

伊賀「5年間、在籍されていて、最後の方は次の社長が江端さんでもおかしくない感じでしたよね? でも突然退社された」

 

江端「突然ではありませんが、母が介護を必要とする状況になったんです。それまで母が見てくれていた子供も、当時はまだ小学校三年生で、学童保育がなくなるという時期でした」

 

伊賀「それは大変。介護保険制度はもうできていた時期ですか?」

 

江端「既に存在していました。それで相談に行ったんですが、私の場合、二世帯住宅で同居していたため、買い物や食事の用意といった生活支援に介護保険が使えないことがわかって・・・」

 

伊賀「当時はそういう制度だったんですね」

 


<活動報告のための小冊子>
 
 

江端「仕事と介護、育児が両立できる道がないか、いろいろ探ったんですけど、やっぱり難しかったので、思い切って辞めようと決断しました」

 

伊賀「これまで順調にキャリアを積んできたのに・・・」

 

江端「ものすごく悔しかったですね。アムジェンの日本法人社長は、パートタイムでもいいから続けて欲しいと言ってくださいましたが、責任分野からみて、とてもパートタイムでできる仕事ではありません。
 
母も、活躍してほしいと思っている娘が自分のためにキャリアを断念するということで、とても残念がっていました」

 

伊賀「それでも辞めざるを得ない状況だったんですね。仕事の方は後任に引き継いで?」

 

江端「マーケティング、事業開発、管理部門を担当していた3人の部長に引き継ぎ、提携先など関連企業にも挨拶に出向きました。8月に辞めると決め、年末まで引き継いで退職しました」

 

伊賀「4ヶ月かけて、すごく丁寧に引き継いで退職されたんですね。たしか、この時の経験が政治への関心をもつ発端となったんですよね? 次はそのあたりをお聞きしたいと思います」