IT、経営、大学、政治・・・縁がつなぐキャリア形成


伊賀「お母様が倒れられ、育児と介護のために仕事を断念された江端さんですが、育児や介護のための生活から、政治への関心が生まれたのでしょうか?」

 

江端「最初は政治と言うより、社会の制度に、初めて当事者として疑問を感じたということです。『なんでこんな制度になってるんだろう?』って素朴に疑問でした」

 

伊賀「それまでは、政治や社会の仕組みにはあまり関心がなかったですか?」

 

江端「どちらかといえばビジネス一辺倒でした。だからいろいろ調べるうちに、『私ってこんなことも知らなかったんだ』と思うことも多かったです。社会の制度に無知だったから、純粋に関心を深められたのかもしれません」

 

伊賀「そこから、実際に立候補しようという話になるまでの経緯を教えて下さい」

 

江端「会社を辞めた翌年の2004年に、何気なく見た民主党のホームぺージで、候補者の公募をしていることを知ったんです」

 

伊賀「それに応募したんですね!?」

 

江端「ところがホームページを見たのが2月28日、応募締め切りが3月1日でした」

 

伊賀「翌日!?」

 

江端「実は2004年は閏年だったので2月29日があって・・」

 

伊賀「それで間に合ったんだ! たしかMITの応募書類も徹夜して仕上げたとおっしゃっていましたが、いつもギリギリですね。私ならその段階で『間に合わないから諦めよう』と思っていたかもしれません」

 

江端「そういうところで馬力を出して頑張っちゃうんです。」

 
 

★円より子参議院議員との出会い★

 

伊賀「本当にそれまで、政治に関心がなかったんですか?」

 

江端「選挙だけは行っていましたが、ごく普通の有権者として、ぶつぶつ文句を言っていたり、という程度です。さすがに民主党の候補者に応募をした後は、国会中継を見て『そうか、こういう議論をしてるんだ』って勉強もしましたが・・」

 

伊賀「2004年というと、当時は小泉政権ですよね?」

 


<円より子参議院議員と>
 
 

江端「そうです。その頃、生活保護の母子加算が廃止されるということが大きな議論になっていました。私はたまたまテレビで、円より子参議院議員がそのことについて激しく抗議している場面を見たんです。

 
その姿は大きな衝撃でした。タレントでも二世でもない政治家が、庶民というか、ごく普通の人のための政策を実現しようとしている、そういう姿を見て、ああ、これはすごいなと」

 

伊賀「自分も介護保険について、そういうことができるんじゃないかと思ったんですね?」

 

江端「そうです。それで円議員のホームページを見てみたら、『女性のための政治スクール』というのを主催していらして、月一回集って話を聞きに行くだけなので、これなら私にも参加できると思って、早速申し込んだんです」

 

伊賀「当時は、基本的には主婦業だったんですよね? 育児とか介護とか?」

 

江端「息子が中学受験だったのでそのサポートや、母の介護が主な仕事です。ただ、細切れの時間があるので、社会や政治関連のことにもいろいろ首をつっこんでいました」

 

伊賀「そこから、どんどん政治への関心が高まって?」

 

江端「2004年の7月に円議員の参議院選挙を手伝いました。その時に初めて選挙事務所というものを見て、『そうか、これが選挙なんだ!』って驚いていました(笑)
 
そうこうしているうちに、8月に民主党から、書類審査に合格したから面接に来いと言われ、翌月の9月には候補者として合格したと連絡が来ました」

 

伊賀「いよいよですね。民主党の公募候補となり、円議員の選挙を手伝って。順調な滑り出しですね?」

 

江端「そうでもないんです。実は2004年段階では、民主党の公募候補と言っても東京では立候補できる場所がなくて、空いている選挙区は鳥取とか兵庫とか、遠いところばかりだったんです」

 

伊賀「介護をしてるのに、そんな遠くては選挙活動は無理ですよね?」

 

江端「円議員にも相談し、一応、新幹線で日帰りできそうな兵庫県で希望を出しておいたんです。ところが翌年の2005年、小泉さんの下で行なわれた選挙で民主党は大敗して・・・」

 

伊賀「あの頃の小泉さんはすごい勢いでしたもんね」

 

江端「民主党は東京でも25人中7人しか当選しなかったため、東京での候補者選定もゼロから再検討ということになり、それで私も東京で立候補することが可能になったんです」

 

伊賀「そんな事情があったんですね。もし関西しか立候補可能地がなければ、政治家になっていなかったかもしれないですか?」

 

江端「現実的に関西で立候補できたか、といえば苦しかったと思います。毎朝、駅前で辻立ちをしたり、地元のイベントにこまめに顔を出したり、政治家の活動は地道なものが多いんです。介護や育児を抱えて、遠い関西でそれをするのは現実的ではありませんでした」

 

伊賀「最初に、東京では立候補できないとわかった時に、政治家になることを諦めてしまっていたら、今の江端さんはなかったわけですよね?」

 

江端「その可能性が高いですね。あの時、円議員に相談し、そのアドバイスを受けて、とりあえず選挙区を仮決めしておいたことでその後の道がつながりました」

 

伊賀「それはキャリア形成を考える際の参考になりますね。困難なことにぶつかったとき、すぐに『もうダメだ!』とすべてを諦めてしまうのではなく、なんとか生き延びる道はないかと探っていれば、状況が変って先が見えてくることもあるってことですね」

 

江端「そうですね。加えて、いろんな人のアドバイスを聞くことも大事です。自分だけでは、どこに道が続いているのか見えないこともよくありますから」

 


<地元の方々が国会議事堂見学に>

 
 

★縁がつながり、東大の準教授へ★

 

伊賀「なるほど。ところで、この頃から東大の准教授をやっていたり、アステラス製薬の社外取締役にも就任されていますよね? このあたりの経緯を教えていただけますか?」

 

江端「当時、東大で副学長になられた先生が、審議会や研究会の資料を読んで要旨をまとめたり、講演の資料作成が手伝えるプロフェッショナルスタッフを探していらしたんです。その話を聞いた私の知り合いの東大教授が、『江端さんが適任なんじゃないか』と推薦してくださったという経緯です」

 

伊賀「パートタイムで?」

 

江端「週に2,3日ですね。家庭と両立できてありがたかったです」

 

伊賀「小宮山東大総長(当時)の仕事のお手伝いもされたんですよね?」

 

江端「東大での最初の仕事をしている時に声を掛けて頂いて、総長主催のプレジデンツ・カウンシルの運営を担当することになりました。

 
タイの王女様などの他、学会、ビジネス界など様々な分野の有識者が世界各地から30人程、年に2回集まって大学運営についてハイレベルの意見交換をする国際会議です。東大の経営戦略を検討するための活動の一環ですね」

 

伊賀「その後は、広報担当の准教授にもなられた。東大の准教授だなんてすごいですね」

 

江端「娘を東大に入れたがっていた母が喜んでくれました。『うちの娘は学生としては東大にいってないけど、東大の准教授になった』って(笑)」

 

伊賀「親孝行ですね。アステラス製薬の社外取締役については?」

 

江端「アステラス製薬は山之内製薬と藤沢薬品工業が合併してできた会社ですが、その初代社長になられた竹中登一社長とお会いする機会があり、直後にお電話を頂き、『東大では何日働いていますか? 女性で社外取締役になってくれる人を探しているのだけれど、製薬業界の素人では困るし、江端さん、月に1~2度働いていただけませんか?』とお声かけいただきました」

 


<事務所で執務中>

 

伊賀「すごいですね。東大の准教授とか、日本を代表する製薬企業の取締役とか、全部、先方から誘われたり、推薦されて、就任されているんですね。
 

ご自身では言いにくいかもしれませんが、いったい皆さんは江端さんのどういうところを評価され、こういう話につながっているんだと思われますか?」

 

江端「目の前のことをしっかりやる、ということだけです。私が務めていたアムジェンと山之内製薬は、共同開発など業務提携をしていました。アムジェンでの仕事振りを評価していただいたということもあるでしょうし、アムジェンを辞める時にも関係会社には頭を下げて回りました。もし私が無責任な辞め方をしていたら、ああいったお話はいただけなかったと思います。
 

もちろん当時は、後からいいことがあるだろうと思ってそうしたわけではなく、その時、その時でやるべきことを疎かにせず、まじめにやってきただけですけれど」

 

伊賀「世の中はあちこちでつながっているし、キャリアは40年以上も続けて形成していくわけですから、そういうつながりがとても大事なんですね」